京都府宇治市五ケ庄西浦にある京阪宇治線の駅および宇治市五ケ庄新開にあるJR奈良線の駅。JR黄檗駅の駅スタンプは「萬福寺」。
京都市伏見区の伏見方面から南東の宇治へと続く府道7号(宇治街道)の途中にある宇治市の五ヶ庄地区にあり、地名の「五ヶ庄」は近衛家の領地である「五箇庄」に由来するものですが、駅名の「黄檗」の由来は駅の東側に伽藍を構える中国大陸から日本に渡来しインゲン豆や孟宗竹(タケノコ)、西瓜や蓮根などを日本に伝えたことでも知られる隠元隆琦(いんげんりゅうき 1592-1673)を開祖とする「黄檗山萬福寺」からきています。
「京阪黄檗駅」は1913年(大正2年)6月1日、伏見の中書島駅と宇治駅を結ぶ京阪宇治線の開業に合わせて「黄檗山駅」として開業したのがはじまりで、その後1926年(大正15年)に現在の「黄檗駅」に改称されました。
そして所属については1943年(昭和18年)10月に戦時中の企業統合政策によって、京阪電気鉄道が阪神急行電鉄(現在の阪急)と合併するといったんは阪急の駅となりましたが、戦後の1949年(昭和24年)12月に京阪神急行電鉄から京阪電気鉄道が再び分離独立すると、再び京阪の駅となっています。
相対式2面2線のホームを持つ地上駅で、改札口はいずれも府道7号(宇治街道)から脇道へと入った駅の北側にあり、上下線で別々に設けられいて、改札内でホーム同士を行き来することはできないようになっているため注意が必要です。
一方「JR黄檗駅」は京阪の黄檗駅の開業よりもはるかに遅い戦後の1961年(昭和36年)4月21日、国鉄奈良線の木幡駅~宇治駅の間に新設開業されたもので、その後1987年(昭和62年)4月1日の国鉄の分割民営化に伴ってJR西日本(西日本旅客鉄道)の所属となり現在に至っています。
相対式ホーム2面2線を持つ地上駅で、京阪とは異なり改札は東側に1か所のみで、改札内には跨線橋が設けられて互いを行き来することが可能となっています。
そして駅舎は駅東側を南北に通る府道7号(宇治街道)沿いにあり、駅前にはバス停とタクシー乗り場のあるロータリーとなっています。
この京阪とJRの両黄檗駅はそれぞれに独立した駅となっていて、統合駅の体裁にはなっていませんが、隣接した敷地に所在していて、ホームの端同士は約100mと目と鼻の先にありますが、連絡通路などはなく改札口は離れていて、現在においても両駅間の乗り換えはいったん府道7号(宇治街道)に出て行うこととなっています。
黄檗駅は宇治市の北部に位置し、木幡と宇治の間にあって一帯は東に木幡の山々が聳え、西に宇治川が流れ、平安時代には多くの貴族が寺院や別荘を建てた洛南の景観地でしたが、江戸時代に入ると中国から渡来した隠元禅師の開創した黄檗山萬福寺が当地に伽藍を構えることとなり、日本の三禅宗となる黄檗宗の中心地として栄えました。
そして現在の駅の周辺については、まず東側の山の中腹にその黄檗山萬福寺の伽藍があるほか、高台を切り拓いた場所には住宅団地「黄檗台」などの住宅地が広がっていて、その他に駅の西側には火器、弾薬、器材などの調達や整備などを任務とする関西補給処本処が置かれている「陸上自衛隊宇治駐屯地」、更に駅の南側にある「京都大学宇治キャンパス」は戦後の1949年(昭和24年)に旧陸軍の敷地を譲り受けて発足したキャンパスで、現在は主に自然科学・エネルギー系の研究所が置かれ、最新鋭のラボが多く集まるテクノロジー開発の最先端地域となっています。