伏見桃山城
秀吉が建築し家康が再建、桃山時代に政治の中心となる
伏見城は1592年秀吉が築城。慶長大地震後再建され没後家康の居城となるも関ヶ原の戦いで重臣鳥居元忠自刃の際に焼失。再び再建されるが二条城建築で重要性を失い1623年廃城。天守や櫓・門は全国の城・寺社に移築され城跡の桃林は桃山の地名の由来に。1964年建築の模擬天守・伏見桃山城は伏見のシンボル
基本データ
- 名前
- 伏見桃山城(ふしみももやまじょう)
- エリア
- 伏見・桃山
- ジャンル
- 建立・設立
- 1592年(天正20年)、天下を統一した豊臣秀吉が翌年嫡子秀頼の誕生を機に聚楽第を甥・秀次に譲り渡し指月の丘陵に自らの隠居所として築城(指月山伏見城)
1594年(文禄3年)、平山城に造り替える
1596年(慶長元年)閏7月、慶長の大地震で倒壊、翌年北東の木幡山(現在の明治天皇伏見桃山陵内)に再建(木幡山伏見城)
1598年(慶長3年)8月18日、秀吉が城内で逝去、後に徳川家康が入城
1600年(慶長5年)7月、「関ヶ原の戦い」の前哨戦となった「伏見城の戦い」で西軍の攻撃を受ける、城将・鳥居元忠は自刃し城は焼失
1602年(慶長7年)、家康の命により再建され(徳川伏見城)、1603年伏見城にて家康が征夷大将軍に就任し政務と執り行うが、その後二条城が建築され更に大坂の陣で豊臣家が滅亡すると軍事的な重要性を失う
1623年(元和9年)、徳川家光の将軍宣下を最後に廃城となり本丸天守は二条城へ、櫓は大坂城・淀城・福山城・江戸城へ、城門は御香宮神社や西本願寺、二尊院などへ移築、城跡には桃の花が植えられ桃山の地名の由来となる、江戸期に伏見はその後陸上・水上交通の要所として繁栄
1912年(大正元年)9月14日、この年崩御した明治天皇が本丸跡付近に造られた伏見桃山陵に埋葬される
1964年(昭和39年)、跡地の一部に遊園地「伏見桃山城キャッスルランド」が開園、模擬天守が建設され「伏見桃山城」と命名される(秀吉・家康の伏見城とは全く関連性はない)
2003年(平成15年)1月、キャッスルランド閉園、模擬天守は地元住民の運動により残されることに
2007年(平成19年)4月1日、キャッスルランド跡地が「伏見桃山城運動公園」として整備 - アクセス
- 駐車場
- ■タイムズ伏見桃山城
├自家用車186台 30分100円(当日最大料金800円)
└大型車・バス(高さ2.3m超)7台のみ 30分300円(当日最大2,400円) - 拝観料
- 無料
- お休み
- 無休
- 拝観時間
- 園内自由(模擬天守内部は非公開)
- 住所
- 〒612-0853
京都府京都市伏見区桃山町大蔵45 伏見桃山城運動公園内 - 電話
- 075-602-0605
- FAX
- -
- 公式サイト
- 伏見城 都市史 京都市
地図
みどころ (Point in Check)
〓