京都市左京区浄土寺南田町、哲学の道の北寄り、銀閣寺側に位置する寺院で、本山修験宗の総本山・聖護院門跡の末寺。
正式には「弥勒院」といい、山号は祥雲山、本尊は富士山の本地仏である大日如来を勧請したという大日如来。
江戸中期の天和年間(1681-84)、聖護院の西、現在の京大病院内に「長泉寺」として創建され、京都にいながらにして富士山に参拝したのと同じ功徳が得られるという富士垢離行屋の組頭として聖護院配下の寺となった後、明治中期の1896年(明治29年)に1747年(延享4年)に創建された明石の弥勒院と合併し、寺名を「弥勒院」と改名します。
そしてその後、昭和初期の1927年(昭和2年)に聖護院から哲学の道沿いに移転し、現在に至っています。
本堂には中心に本尊・大日如来および脇侍に不動明王を安置するほか、左隣に修験道の開祖である役行者、右隣に天台宗寺門派の開祖・智證大師円珍が祀られています。
そして境内の小さなお堂に祀られている地蔵菩薩像はもと京都室町の商家に祀られていたものを第二次大戦中に譲り受けたもので、赤ちゃんを抱いたその姿から「子安地蔵」とも呼ばれ、江戸時代頃に作られたものと考えられているようです。
現在はその和やかな表情から「幸せ地蔵尊(しあわせじぞうそん)」の通称で親しまれ、近隣住民から観光客まで多くの人々が参拝し幸せになったという便りが多数寄せられているといいます。
事業を営む人の守護神であるほか、除災や縁結びの信仰があるといい、お守りや絵馬などが授与されています。
その一方で山伏で知られる本山修験宗の寺院であることから、毎年8月28日には「大日盆採燈大護摩供」が行われることでも知られていて、境内に集まった大勢の山伏たちは哲学の道を通って銀閣寺そばの八神社や大文字山登山口の行者の森を訪れた後、再び弥勒院に戻り、山伏問答や空に向かって矢を射る法弓の儀などを行った後、松明の火によって護摩壇に点火し、境内が煙に包まれる中で護摩供が厳修されます。
また桜の名所として知られる哲学の道沿いにあり、桜が見頃となる4月8日にはお釈迦様の誕生日を祝う「花まつり」が開かれ、お釈迦様が誕生した時に甘露の雨が降りそそいだという伝承にちなんで甘茶かけが行われます。