京都市下京区仏光寺通猪熊西入西田町、四条大宮を南に入った住宅街にある小さな神社。
祭神は伊勢神宮・内宮の主祭神である天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)を主祭神に、正八幡大神(せいはちまんおおかみ)と春日大明神(かすがだいみょうじん)を左右に併祀しています。
創祀は不明ですが、かつては「天道宮」と称し、長岡京(現在の長岡京市)に祀られていたといい、平安遷都直前の792年(延暦11年)、長岡をはじめとする付近7郷(現梅津以南の村々)の村落で疫病が蔓延し家畜が甚大な被害を受け全滅の危機に瀕した際、この社に祈願したところ1頭の犠牲も出さずに全治したことから「家畜の悪疫除け」のご利益で知られるようになりました。
そして794年(延暦13年)の第50代・桓武天皇による平安京遷都の際には、国家安寧・子孫長久・万民豊穣を祈願して天道神社が勧請されることとなり、信仰の厚い長岡の村民は人々から家畜に至るまで沿道に並んで見送りをしたといいます。
当時は銅駝坊(どうだぼう)の南方、三条坊門東洞院(現在の東洞院通御池上る付近)にあり、1町四方におよぶ広大な境内に荘厳な社殿を有し皇室をはじめ多くの人々が集まる社だったといいますが、元弘・建武年間(1331-36年)に度々兵火に遭い焼失。
その後、200年余り経った戦国時代の1574年(天正2年)に織田信長により五条坊門猪熊の現在地を授かりようやく再興を果たしますが、江戸中期の1788年(天明8年)に京都で起きた「天明の大火」によって再び焼失し、後に再建されに現在に至っています。
境内はそれほど広い敷地ではないものの、縦長の敷地に本殿のほかに天満神社や稲荷社などが巧みに配置されており、このうち天道天満神社は、時代や資料によって25社が異なる場合はありますが、天道天神として「洛陽天満宮二十五社」の一つに数えられている社です。
また境内には明治天皇の皇后で明治天皇とともに東京の明治神宮に祭神として祀られている昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう 旧名・一条美子(はるこ) 1849-1914)の御胞衣を収めた塚がありますが、これは一条家に誕生した皇太后の栄華祈願のため、皇太后の父がこの地に埋納したもので、皇太后は19歳の時に皇后宣下を受け、見事に祈願成就となりました。
行事としては毎年11月3日の「例大祭・神幸祭」における神輿巡行が有名で、四条大宮の交差点付近での差し上げ時には多くの見物客で盛り上がります。
また5月17日には、長い竹竿の先に躑躅や石楠花、卯木などの季節の花をつけて庭先などに高く掲げる「天道花神事(てんどうばなしんじ)」が執り行われます。
主に旧暦の4月8日の灌仏会の日に開催され、近畿・中国・四国地方などで見られた風習で、祈年祭や花まつりの一種であるとか、鯉のぼりの原型であるなどともいわれていますが、明治期になってこの風習は廃れ、現在は山間の一部でしか見られないため、京都市内の街中で見られるのは非常に珍しいことだといいます。
その他にも6月30日の「夏越の祓」における茅の輪くぐりや、秋に境内を黄色く彩る銀杏の木などが見どころです。