京都市上京区下立売七本松東入長門町にある浄土宗大本山・百萬遍知恩寺の末寺。
正式名は「大応山慈光院裕正寺」で、山号は大応山、本尊は阿弥陀如来立像。
この点「長門町」という町名は、安土・桃山時代の1587年(天正15年)にこの地に豊臣秀吉の聚楽第が建てられると、その周辺には諸大名の屋敷が多く建てられますが、その中で家臣である長門守こと木村重成(きむらしげなり 1593?-1615)あるいは長門毛利氏の邸が置かれたことにちなむものだといいます。
そして元和・寛永の頃になると市中に散在する大小70あまりの寺院がこの地に集められて「東の寺町」とも呼ばれたといい、祐正寺もその一角に創建されています。
江戸幕府が開かれる前年の1602年(慶長7年)に、円誉雲白により法然ゆかりの浄土宗念仏道場として創建。
その後1673年(寛文13年)、第3代・郭誉穐道の時に第112代・霊元法皇の勅願によって「地蔵堂」を建立。
堂内に安置された彩色豊かな地蔵尊は「娶妻結地蔵(つまとりじぞう)」と呼ばれ、良い妻に巡り会えるとして主に男性向けの「縁結び」のご利益があるとして信仰を集めており、僧・宝山が六地蔵以外の48か寺の地蔵尊から選んだとされる「洛陽四十八願所」の一つにも数えられています。
また本堂は1797年(寛政9年)の焼失後の再建で、その際に焼失を免れた恵心僧都源信(えしんそうずげんしん)作と伝わる本尊・阿弥陀如来立像を安置。その他にも境内には鎮守社として「毘沙門天・慈光大辨財天・大黒天」「兼藤稲荷大明神」があります。
また春先には「枝垂れ梅」が咲き誇ることで知られる、知る人ぞ知る隠れた梅の名所でもあります。