京都市中京区下御霊前町、京都御所の南側、丸太町通と寺町通の交差点を南へ少し下がった寺町通沿いに鎮座する厄除けで有名な神社。
祭神は「八所御霊」と称され、吉備聖霊と火雷天神以外の崇道天皇・伊予親王・藤原大夫人・藤原大夫・橘大夫・文大夫の6柱はいずれも政争に巻き込まれ無実の罪などにより非業の死を遂げた人物。
この点、疫病の流行や天変地異は非運のうちに亡くなられた高貴な方々のお心によるものとされ、その方々の御霊を丁重にお祀りすることによって、災いをなくそうという、いわゆる「御霊信仰」に基づき、その霊を鎮めるために行われるお祭りのことを「御霊会(ごりょうえ)」といいますが、このうち863年(貞観5年)に勅命にて神泉苑で行われた「神泉苑御霊会」を由諸としています。
平安初期に下出雲路の地(一条の北、寺町の東付近)に創建されたと伝わり、御霊神社(上御霊神社)の南にあったことから「下御霊神社」と呼ばれるように。
その後鎌倉時代に新町通出水(現在の京都府庁付近)、室町時代には「応仁の乱(1467-77)」の兵火から逃れるため北山花園村と、2度の移転の後、安土桃山時代の1590年(天正18年)に豊臣秀吉の都市改造政策に伴い現在の御所南の寺町通沿いの地へと移されました(革堂のすぐ北、寺町丸太町下る)。
江戸時代以降は皇居(御所)の産土神として朝廷の篤い信仰を受け、歴代天皇の祈願文も納められたといい、それもあって社殿造営に際しては、御所の建物を贈られることが多かったといいます。
そして享保年間(1716-36)には当社に行幸し、宸筆の祈願文を納め霊元天皇の霊が配祀されています。
主な行事としては5月に開催される御霊会を起源とする「御霊祭」と、8月17・18日に開催され東遊(あずまあそび)の奉奏される「例祭」がよく知られています。