京都府京都市下京区御幸町通仏光寺下る橘町、京都の繁華街・四条河原町から南側へやや下がった所にある、1998年(平成10年)11月12日に開館した京都の学校教育の歴史を展示した博物館。
2010年(平成22年)度までは京都市生涯学習振興財団、2011年(平成23年)度からは京都市教育委員会によって運営されています。
京都では1872年(明治5年)に明治政府が正式に学校制度を定めた「学制公布」よりも前の1869年(明治2年)、全国に先駆けて日本で最初の学区制小学校である「番組小学校」が64校作られました。
そしてこれを主導したのは行政ではなく町衆であったといい、明治初期に民間で学校を開校した例は他の地域にはないといいます。
幕末の動乱による戦禍や、明治維新による天皇の東京行幸によって衰退の危機にあった京都を復興するため、都市基盤の整備や勧業政策など様々な近代化政策が実施されましたが、中でもとりわけ重要と考えられたのが教育で、「まちづくりは人づくりから」の信念の下、京都を立て直すため産業を支える良い人材を育てることが急務と考えた町衆たちは自らお金を集め、足りない分は借金をしてまで小学校を建設し、地域ぐるみで管理・運営までを行ったといいます。
「開智小学校」は、京都に64校ある「番組小学校」と称された小学校の一つで、かつて周辺の子どもたちが数多く通っていましたが、1992年(平成4年)に統廃合により惜しまれながら閉校。
その建物を利用して開館したのが「京都市学校歴史博物館」で、「番組小学校」をはじめとした京都独自の教育の歴史、および学校の創設と運営に力を注いだ町衆たちの情熱を全国に紹介することを目的に設立され、2004年(平成16年)には博物館相当施設にも指定されています。
番組小学校に関する資料をはじめ、幕末の寺子屋から終戦時までの実際に使われた教科書や、理科の実験器具などの教材・教具などの教育資料、大正から昭和初期に輸入されたスタインウェイ製のグランドピアノなどの楽器、古文書などの歴史的資料が約11,000点、そして北大路魯山人や近藤悠三といった著名な芸術家の作品も含め、学校を卒業したゆかりの作家たちが学校に寄贈した絵画・書跡・陶磁器・染織などの数々の美術工芸品など約2,000点など、学校の歴史に関する資料を収集・保存・展示を行っている全国でも大変珍しい博物館です。
番組小学校を中心に京都の教育の独自性や学校と地域とのかかわりを各種資料で紹介する「常設展示」のほか、学校に伝えられてきた歴史資料や美術工芸品をテーマごとに期間を設けて展示する「企画展示」、更には市民参加の体験事業として講演会や各種講座、唱歌や童謡、日本画などの生涯学習教室、春・夏休みには子ども体験教室なども開催しています。
展示室や収蔵庫の整備、エレベーターの新設など博物館としての機能を整える一方で、外観などについては最小限の改修にとどめており、1938年(昭和13年)に建築された木造校舎など、建物は往時の小学校の様子がほぼそのまま残されているのが大きな特徴です。
中でも立派な門構えの「正門」は1901年(明治34年)に高麗様式で建築されたもので、白川石の用いられている「石塀」は1918年(大正7年)の完成、また展示室入口の「玄関」は1875年(明治8年)に建築された旧成徳小学校の玄関車寄せを移築したもので、擬洋風の意匠が施された京都市最古の学校建築物であり、いずれも国の登録有形文化財に指定されています。
ちなみに「開智小学校」は歴史ある番組小学校の一つであったものの統廃合によって小学校ではなくなってしまいましたが、旧学区の住民たちによって神輿や太鼓は今でも守られていて、京都三大祭の一つである「祇園祭」の「花傘巡行」では「開智童心太鼓」と「開智子供みこし」が巡行に参加し祭を盛り上げます。