京都市中京区寺町通御池上る上本能寺前町に位置する、地方公共団体である京都市の執行機関としての多くの事務が執り行われる「お役所」ですが、同時に庁舎が歴史的建造物であるほか、役所前の広場は各種イベントなども開催される市民憩いの場としても知られているスポットです。
1889年(明治22年)4月1日の市制施行により「京都市」が誕生。
当初は京都市は東京市・大阪市と共に特別市制が敷かれ、独自の市庁舎は持たなかったことから、1898年(明治31年)に特別市制が廃止されるまで市の行政事務は京都府庁舎で執り行われていました。
その後特別市制の廃止に伴い、当時この地に建っていた木造2階建・和風建築の京都市会議事堂が初代の市庁舎として用いられた後、その約20年後の1917年(大正6年)、京都市に下賜された大正天皇即位御大典の饗宴場の材木を用い、2階建の洋風建築が議事堂の西隣に2代目庁舎として建てられます。
そして昭和になり初代庁舎の跡地に建てられたのが3代目となる現在の庁舎で、塔屋のある中央から東半分は1927年(昭和2年)に、西半分は1931年(昭和6年)に2代目庁舎を撤去した跡地に建てられ、現在に至っています。
この点、全国の県庁所在地で戦前に建てられた市庁舎が現存するのは静岡、名古屋、京都、鹿児島の4つの市のみであり、その中でも京都市の市庁舎は最も古い歴史を持つ建物です。
鉄筋コンクリート造り4階建の建物で、石積みが強調された車寄せを有する玄関と屋上にある時計塔を正面中央に、東西に長く両翼を伸ばし、ほぼ左右対称のシンメトリーの外観を持ち、西洋の伝統様式であるネオ・バロック的な重厚で古典的な骨格を有しています。
その一方で細部装飾には東洋的な建築様式が随所に採用されており、装飾の位置や寸法は西洋式に従っているものの、エントランスホールの半円形アーチがイスラム風の葱花形アーチに置換・変形されるなど、建物の内外にわたり意匠設計を監修した京都帝大教授・武田五一が好んだという東洋的モチーフ(日本・中国・イスラム・インドと多彩)への置換・変形が見られ、あまり例がないことから近代建築史上重要な位置を占める建造物とされています。
その後1931年(昭和6年)に地上3階建の西庁舎(4階増築部は1966年竣工)、更には北庁舎(西棟は1931年、中央棟は1964年、東棟は1974年竣工)も建設されました。
2017年(平成29年)度から老朽化や耐震性の不足、スペースの集約拡張などを理由に庁舎のリニューアル工事がスタート。
本庁舎は耐震改修を施した上で引き続き使用されることが決まり、西庁舎・北庁舎は建て替え、更に北側への分庁舎新築が計画されています。
市役所の正面には大きな広場もあり、子供達の遊び場や市民憩いの場となっているほか、週末にはフリーマーケットなどのイベントも開催。
また日本三大祭の一つであり、7月に1か月かけて開催される「祇園祭」では山鉾の巡行順を決める「くじ改め」が7月2日に開催されることでも知られています。