京都市中京区新京極蛸薬師下る東側町、寺町蛸薬師の交差点の南東にある浄土宗西山禅林寺派の寺院。
山号は八葉山(はちようざん)、本尊は阿弥陀如来。
平安中期の1018年(寛仁2年)、恵心僧都源信(えしんそうず げんしん 942-1017)が奈良の當麻(たいま)に「蓮台院」を建立したのがはじまり。
ついで恵心の妹・安養尼(あんように)が居住して「安養寺」と改名しました。
その後、平安後期の天永年間(1110-13)の1110年頃に隆暹(りゅうせん)が京都に移し、鎌倉時代に証仏(しょうぶつ)が中興。天正年間(1573-92)の1580年頃に豊臣秀吉の都市計画によって現在地に移されています。
本尊の阿弥陀如来立像が8枚の蓮華の弁でできた台座を逆さに置いた上に立っていることから「倒蓮華寺(さかれんげじ)」の通称で呼ばれています。
伝説によれば、本尊を作る際に何度作っても蓮座の台座にひびが入るため、春日権現に祈ったところ、八葉の逆さ蓮華を作って安置するようにお告げを受けたといい、そこで蓮華を逆さまにした台座を作ったところ阿弥陀如来像を無事に安置できたといいます。
わざと逆さまにしたのは女性蔑視の考え方の強かった昔は女性というものは業が深く、心の中の蓮華が逆さまとなっていて極楽往生できないといわれていたことから、これを救済するためにあえてそうしたのだともいわれています。
そしてこの本尊にまつわる伝説により、昔から特に女性の信仰が篤く「女人往生」の寺として知られています。
その後、1872年(明治5年)に京都府参事・槇村正直によって新京極通が作られたことで境内は極めて狭くなっていて、現在は阿弥陀如来立像は寺院の2階にある本堂に祀られ、通常はガラス戸が閉められていて予約をしないと拝観できませんが、真如堂(真正極楽寺)や永観堂、清水寺、安祥院、誓願寺とともに「洛陽六阿弥陀めぐり」の一院で第5番札所となっているため、その功徳日のみ予約なしで内陣に入り阿弥陀如来立像と台座の逆蓮華を間近で拝観することができます。
また近年は誓願寺や誠心院、西光寺(寅薬師)、蛸薬師堂(永福寺)、善長寺、錦天満宮、染殿院とともに新京極商店街内に境内を構える8社で構成される「京都新京極御朱印めぐり」の一社に数えられています。