京都府京都市南区吉祥院中島町、JR西大路駅の南西すぐに本社を構える世界的にも有名な女性用下着販売を主力とする衣料品メーカー。
戦後間もない1946年(昭和21年)、インパール作戦に従軍し25歳で復員した創業者の塚本幸一(つかもとこういち 1920-98)がアクセサリーを販売する婦人洋装装身具卸「和江商事」を創業したのがはじまり。
この点「和江」とは父・塚本粂次郎の雅号で、江州(滋賀県)の出身だった粂次郎が「江州に和す」という思いからつけたものだったといいます。
1949年(昭和24年)になるとブラジャーの中につける「ブラパット」を発売して好評を博し、これを機に同年11月1日に京都市中京区にて女性下着を販売する「和江商事株式会社」設立。
更にブラパットの使い勝手や肌あたりを改善するためブラパットを入れる内袋のついたブラジャーを独自に開発し、委託縫製工場を合併して1950年3月には京都室町にてブラジャーの生産を開始。デパートに納入しながら製造卸売業の土台を固めていくとともに、1952年には大阪の阪急百貨店で日本初の下着ショーを開催して成功を収め、同年現在の「ワコール」の商標も誕生し、1957年(昭和32年)に「ワコール株式会社」へ商号を変更しています(1964年(昭和39年)にはワコール販売を合併して「株式会社ワコール」に改称)。
その後、ファンデーションとランジェリーの専門メーカーとなり、本格的な下着ブームが訪れた1960年代には「タミーガードル(1965)」がベストセラーになるなど次々と新製品を発売し、ブランド力と直販体制で他社を圧倒し婦人下着の分野で業界トップの地位を築いていきます。
1970年以降は海外進出にも積極的に取り組み、1973年(昭和48年)にはワコール・インターナショナルを設立。近年は「感じるブラ」に代表される人間科学研究に基づいた商品の開発に力を注ぐ一方で、高級ブランドを立ち上げて銀座に直営店を開設したり、通販など新しい試みにも積極的に取り組んでいます。
2005年(平成17年)10月には持株会社制に移行し「株式会社ワコールホールディングス」に商号変更するとともに、株式会社ワコールは完全子会社となっています。
また本業とは別に1978年(昭和53年)には西洋の服飾史料6,000点を収蔵する京都服飾文化研究財団を設立したほか、平安建都1200年事業など、京都経済の発展に尽力する文化活動にも力を入れています。
更にはスポーツウェアの分野にも進出していて「CW-X」のブランドでも有名なほか、1986年(昭和61年)には女子陸上競技部を創設して、福士加代子などの名選手を輩出したり、「京都マラソン」のスポンサーを務めるなど各種スポーツ活動の後援にも積極的に取り組んでいます。
現在の西大路の本社社屋は1999年(平成11年)に完成したもので、1Fには会社の創業以来の歴史を物語る展示物を公開する「ミュージアム・オブ・ビューティ」が整備され、事前予約をすれば見学が可能となっています。
そして本社敷地内の西側にはワコールの鎮守社として巌(いわお)の御魂、瑞(みず)の御魂の和江大龍神を祭神として祀る「和江神社」が鎮座しています。
龍神は真水に千年、塩水に千年、陸に千年の厳修を経て神になるといわれ、本龍神は湖北の龍神の一族といわれ、竹生島から近江坂本、京都松ヶ崎を経て比叡山にて修行中、京都に悪霊悪病が百出したため、京都の守護神として侍従地領、現ワコール京都店の地に鎮座されたといわれています。
1957年(昭和32年)3月に株式会社ワコールの西大路工場を開設するにあたってその敷地内中央の古木に鎮まっておられた大龍神を、同年7月に同地への本社移転を期して会社の守護神として鎮祭したもので、その後1967年(昭和42年)11月の本社の新築を受け、その翌年11月に現在地に遷座しています。
「和江」の社名は旧商号である「和江商事」からで、社名を「ワコール」と改称するに際し、和江の名を末永く留めたいとの願いから命名されたものだといいます。