京都府京丹後市大宮町周枳、京丹後市の南東部を占める大宮町の丹鉄京丹後大宮駅の北に鎮座する「丹後二の宮」で大宮町の名前の由来にもなっている神社。
創建年代は不詳ですが、境内から勾玉や土器のほか祭祀や呪術の遺物が出土していることから、一帯は丹波丹後を含む古代大丹波の中心地であった場所で、古代・弥生時代の祭祀場であったものが神社になったものと推定されています。
祭神として宮中の平安を守る神として皇居の八神殿に祀られた8神のうちの1柱で、酒や醴・酢などの醸造を司る酒造司(みきのつかさ)にも祀られた大宮賣神(大宮売神)(おおみやめのかみ)と、豊穣の神である若宮賣神(若宮売神)(わかみやめのかみ)を祀り、このうち大宮賣神(大宮売神)を祀る神社としては最も古い社とされています。
そして歴史上の記録としては平安初期の806年(大同元年)、神封七戸を得て大宮売神に2千5百石、若宮売神に千5百石を寄進との記録があるほか、859年(貞観元年)の「日本三大実録」において従五位上の神階を賜わったとの記述が残されています。
また平安中期927年(延長5年)にまとめられた当時官社に指定されていた全国の神社一覧「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)」にも名神大社として記載が認められ、更に現存する小野道風書と伝える古額から平安末期には大宮売大明神が正一位、若宮売大明神が従一位に列し、その後も「丹後の国二の宮」として広く信仰を集めました。
現在も縁結び・安産・子孫繁栄・文化発展の守護神として崇敬を集め、また祭祀遺跡となっている境内全域が京都府の古代祭祀史跡に指定されており、社務所には境内から出土した土器や勾玉などの遺物が数多く展示されています。
府道656号に南面して建つ一の鳥居から北へ石灯籠と松並木に囲まれた参道を150mほど進んだ先に本殿と拝殿、その周囲に境内社などが建てられ、本殿裏は禁足の杜とされていて、古社としての歴史ある景観が保たれています。
現在の「本殿」は1927年(昭和2年)の北丹後地震で大きな被害を受けた後、1930年(昭和5年)に再建されたものですが、江戸中期の1685年(元禄8年)に造営されたという旧本殿も健在で、現在は「忠霊社」の社殿として使用されており、江戸中期の神社本殿建築の遺構として貴重なことから京丹後市指定有形文化財に指定。
また本殿前の左右に建つ一対の「春日型石燈籠」は、右側の1基に「徳治2年(1307年)3月7日」の刻名があり、鎌倉期の貴重な石造美術品として国の重要文化財に指定されています。
行事としては秋祭りの「例祭」が有名で、神輿渡御のほかや、古くから「三役」と称される笹囃子(ばやし)・神楽・三番叟や太刀振りといった伝統芸能が奉納され、「京都府無形民俗文化財」にも指定され、現在まで地域の人々に脈々と受け継がれています。