京都府福知山市川北、福知山市街地や三段池公園の東方、JR石原駅北西の由良川の北側にある曹洞宗寺院。
山号は須弥塔山(しゅみとうざん)、本尊は釈迦牟尼仏で、大江山の酒呑童子鬼退治伝説で有名な源頼光(みなもとのよりみつ 944-1021)ゆかりの寺として知られています。
「酒呑童子(しゅてんどうじ)」は大江山を本拠とする鬼で龍宮のような御殿に棲み、数多くの鬼たちを部下にしていたといい、無類の酒好きだったためその名が付けられました。
平安中期の第66代・一条天皇(いちじょうてんのう 980-1011)の時代、京の若者や姫君が次々失踪したため、有名な陰陽師・安倍晴明(あべのせいめい 921-1005)に占わせたところ、酒呑童子の仕業と判明。
995年(長徳元年)、帝は鎮守府将軍・源満仲(みなもとのみつなか 912-97)を父に持つ源頼光と、和泉式部の夫で祇園祭の「保昌山」で知られる藤原保昌(ふじわらのやすまさ 958-1036)らに征伐を命じたところ、頼光たちは見事に鬼を成敗し酒呑童子の首を持って京に凱旋したといいます。
「源頼光」は平安時代中期の武士で、清和源氏の3代目で、摂津源氏の祖とされる人物。
諸国の国司を歴任し、藤原摂関家と結んで勢力を伸ばしその地位を固め、1016年(長和5年)7月に摂政・藤原道長が土御門邸を再建した際には邸内の調度品のすべてを贈り道長を喜ばせるとともに世間を驚かせたといいます。
また武勇に優れ「今昔物語」には若い頃に御堂の側で寝ている狐を蟇目の矢で射ることを東宮に命じられ見事に命中させたという話が伝わるほか、配下の藤原保昌や、四天王筆頭の渡辺綱(わたなべのつな 953-1025)、金太郎の幼名で知られる坂田金時(さかたのきんとき 956-1012)、碓氷貞光(うすいさだみつ 954?-1021)、卜部季武(うらべのすえたけ 950?-1022?)のいわゆる「頼光四天王(らいこうしてんのう)」を従えて大江山の酒呑童子や土蜘蛛を退治したエピソードは能や浄瑠璃、歌舞伎などの題材にも数多く用いられよく知られています。
その後室町時代の1395年(応永2年)に寂室空心和尚が禅宗寺院を創建、征伐の途中に源頼光がこの地に立ち寄り必勝を祈願したことにちなみ「鬼岳林頼光寺」と命名したのがはじまりで、その後、江戸初期の1674年(延宝2年)に案慶龍穏が本堂を再建し中興しています。
現在の本堂は江戸時代から180年続いた本堂が2014年(平成26年)8月の豪雨で全壊した後、2019年(令和元年)5月に再建されたもので、本尊の釈迦牟尼仏のほか、脇侍として普賢菩薩と文殊菩薩像が祀られています。この他に江戸時代に製作され福知山市指定文化財に指定されている梵鐘などがあります。
また山門の横に日本では限られた地域でしか見られない「なんじゃもんじゃ(ヒトツバタゴ)」の木があることで知られ、福知山市名木に選ばれ「福知山花の十景」の一つにも数えられています。
大正時代初期に檀家の方が仕事で朝鮮半島に渡った際に土産として持ち帰り植樹したもので、毎年5月の上旬から中旬にかけて純白の小さな花を木いっぱいに咲かせ、人々の目を楽しませてくれます。