京都府相楽郡南山城村田山堂山、京都府南部の南山城村にあるJR月ヶ瀬口駅から月ヶ瀬へ向かう府道753号を南へ進んだ先の住宅街の石段を上がった高台の上に鎮座する神社。
創建の詳しい経緯は不明ですが、資料や境内に育つ3本の大杉などから室町期、500~600年前には祀られていたと考えられ、当初は「九頭大明神(くずだいみょうじん)」という名称で旧田山村の氏神として祀られ、観音寺の住職が祭祀を掌っていたといいます。
その後、明治維新による「神仏分離令」に伴って、1871年(明治4年)1月に全国に約25,000社あるといわれる諏訪神社の総本社である長野県の「諏訪大社」の主神で諏訪湖の守り神・水の神「建御名方神(たけみなかたのかみ)」を祭神として祀るとともに「諏訪神社」と改められ、1935年(昭和10年)10月に大国主神(おおくにぬしのみこと)・事代主神(ことしろぬしのみこと)を祭神とする森山神社を合祀し、現在は田山地区の産土神としても信仰を集めています。
行事としては毎年11月3日の午後に開催される「田山花踊り」が有名。
江戸初期に始まったともいわれ、1773年(安永2年)の飢饉の年に奉納された記録が残るという古い歴史を有し、雨乞いの神事として長い間継承されていましたが、1924年(大正13年)を最後にしばらく途絶えていたものを、1963年(昭和38年)に地元住民たちが「田山花踊り保存会」を結成する形で復活。
現在に至るまで五穀豊穣や家内安全も祈願する形で継承され続け「京都府無形民俗文化財」にも指定された貴重な伝統芸能です。
奉納は保育園児から小中学生、保存会員と総勢約100人が参加して行われ、まず旧田山小学校グラウンドにて雨乞い踊りの前半を舞った後、武士の警護役を先導にグランドを出発した「いりは行列」が約200m離れた神社へ向けて練り歩き、神社へ到着の後に踊りの後半を奉納します。
そして女装束の独特の衣装や飾りを身にまとった村の若者ら10数名が「シナイ」と呼ばれる御幣と枝垂花を挿した色鮮やかな飾りを背負い、勇壮かつ風流な踊りを披露していきまます。