京都府木津川市相楽清水、JR片町線(学研都市線)の西木津駅より西へ約300mの木津町相楽地区に鎮座する神社。
創建の詳しい経緯は不明ですが、古くから北ノ庄区・大里区・曽根山区の旧相楽村三区の産土神として祀られ、誉田別命(ほんだわけのみこと)(第15代・応神天皇)、気長足姫命(おきながたらしひめのみこと)(神功皇后)(応神天皇の母)、そして足仲彦命(かんたらしなかつひこのみこと)(第14代・仲哀天皇)(応神天皇の父)のいわゆる八幡神を祭神として祀ることから「八幡宮」と呼ばれていましたが、明治期に入った1877年(明治10年)に平安中期に編纂された「延喜式神名帳」に「相楽((そうらく)郡一座 相楽(サカラカノ)神社」記されていることが判明し、延喜式内社「相楽神社」と改められ現在に至っています。
現在の「本殿」は室町初期の造営で、細工や彫刻に優れ重要文化財に指定されているほか、室町後期に造営された末社・若宮神社本殿が京都府登録文化財に指定されています。
また都市化の進む木津地域においてケヤキやカシ、シイなどの大木や古木に囲まれて豊かな自然環境が保持されており、神社の森一帯が「文化財環境保全地区」に指定されているほか、社務所横にある御神木の欅の古木が「京都の自然200選」に選定されています。
そして行事としては神社に伝わる一連の正月行事が中世的な宮座祭祀のあり方が古風のままによく残されており「相楽の御田と正月行事」として京都府指定無形民俗文化財に指定。
1月14日の月々の降水量を占う「豆焼」にはじまり、1月15日朝の早稲、中稲、晩稲の作柄を占う「粥占」、昼の稲作の過程を模して豊作を祈る「御田」、その後2月1日に竹串に多くの餅を差して花に見立てたものを奉納する「餅花」、そして旧暦1月15日には年間降水量を占う「水試」と、豊作を願う儀式が続けて行われます。
中でも地元では「ニノショウガツ」と呼ばれる2月1日に開催される「餅花祭」は、紅白の紙をつけ花に見立てた日本でも類をみないほどの大きな餠花が飾られた本殿にて、鉦や太鼓の音が響く中で巫女が神楽を舞い豊作を祈願するもので、一連の行事の中でも一番注目の神事として、地元の内外から毎年多くの見物客が訪れます。