京都市北区紫野大徳寺町、堀川北大路より約400m西に大伽藍を構える臨済宗大徳寺派の大本山・大徳寺の20余りある塔頭寺院の一つで、型破りの禅僧として著名な一休宗純ゆかりの寺院。
大徳寺の広大な寺域の北東に位置し、大仙派(北派)、龍源派(南派)、龍泉派、真珠派(一休派)の大徳寺四派のうち、真珠派(一休派)の拠点。
室町時代の永享年間(1429-41)に、テレビアニメ「一休さん」ではとんち坊主として知られ、大徳寺を復興した一休宗純(いっきゅうそうじゅん 1394-1481)を開祖として創建したのがはじまり。
寺名の由来は中国・北宋時代の高名な禅僧で日本臨済宗の祖の一人となった楊岐方会(ようぎほうえ 992-1049)が、雪の夜に楊岐山の破れ寺で座禅修行をしていた時に風が舞い、部屋の中に雪が降り込んできました。すると床に積もった雪がまるで月に照らされて真珠のように輝いたという故事にちなんで一休禅師が名付けたものといいます。
その後「応仁の乱」の際に他の塔頭寺院と共に焼失した後、一休没後10年目の1491年(延徳3年)に一休に帰依していた堺の豪商・尾和宗臨(おわそうりん ?-1501)(祖渓宗臨)をはじめ数寄者・村田珠光、連歌師・宗長などが、大徳寺の再建に合わせて私財を寄進し、一休の弟子・墨斎紹等を住持として再興しました。
現在の建物は江戸初期の再建で、「方丈」「庫裏」「通僊院(つうせんいん)」はいずれも重要文化財に指定。
このうち「方丈」は、1638年(寛永15年)に京の豪商・後藤益勝(ごとうますかつ)の寄進により造営されたもので、中央の何似塔(かじとう)に室町期作の有髪の「一休和尚座像」(重文)を安置するほか、一休禅師直筆の掛け軸が掛かります。
そして内部には室町~桃山期を代表する画家の曽我蛇足(そがじゃそく・だそく 生没年不詳)、長谷川等伯(はせがわとうはく 1539-1610)の筆による計41面の障壁画(襖絵)があり、「真山水図」「花鳥図」「草山水図」の3室が伝曾我蛇足の筆、「商山四皓図(しょうざんしこうず)」「蜆子猪頭図(けんすちょとうず)」の2室が長谷川等伯の筆と伝わっています。
このうち室町末期の画家で真珠庵で一休に禅を師事され、絵を師事したとも伝わる曽我蛇足の作と伝えられる襖絵「四季花鳥図」は現存する襖絵では最古といわれ重要文化財となっています。
またこの方丈の東側にある「方丈東庭」は一休の参徒の一人で侘び茶の祖・村田珠光(むらたじゅこう 1422?-1502)の作と伝わる室町期の枯山水庭園で、南北に細長く15個ある庭石が南から縁起のいい奇数である7・5・3に配置してあることから「七五三の庭」と呼ばれており、方丈南庭・通僊院の2つの庭園と合わせ1924年(大正13年)に「真珠庵庭園」として国の史跡・名勝に指定されています。
次に「庫裏」は大徳寺内の庫裏では最も古いもので1609年(慶長14年)の建造、また「通僊院(つうせんいん)」は1638年(寛永15年)に御所にあった第106代・正親町天皇の女御の化粧殿(けわいどの)と呼ばれる旧殿を移築したといわれる書院で、内部はどこか女性らしい趣が感じられる建物です。
そして通僊院に附属の「庭玉軒(ていぎょくけん)」は、宗和流茶道の祖である茶人・金森宗和(かなもりそうわ 1584-1657)の好みを伝える二畳台目席で、雪国造りの内蹲踞が特徴的な茶室として知られています。
これらの建物や障壁画などの絵画のほか、国宝指定の「大灯国師墨蹟」などの墨蹟など、寺では多くの文化財を所蔵しており、通常非公開の寺院ですが申込により参拝が可能なほか、不定期で特別公開や「大人が楽しむ坐禅会」と称して坐禅体験を受け付けていることもあるといいます。
2018年(平成30年)には400年ぶりとなる襖絵の新調が行われ、「釣りバカ日誌」で知られる漫画家・北見けんいちをはじめ、漫画家やアニメ監督、ゲームなどの分野で第一線で活躍するクリエーターらが集結、伝来の襖絵41面に加えて仏間の小襖4面に新しい作品が描かれ「襖絵プロジェクト」として話題を集めました。