佐古称名寺とは?(基本データ)
- 名前
- 佐古称名寺(さこしょうみょうじ)
- エリア
- 久御山
- ジャンル
- 建立・設立
- 1534年(天文3年)
- 創始者
- [開基] 西誉直住大徳
- 宗派
- 浄土宗知恩院派
- 山号
- 護念山
- 本尊
- 阿弥陀如来坐像
- 寺紋
- アクセス
- 駐車場
- 拝観料
- お休み
- 拝観時間
- 住所
- 〒613-0031
京都府久世郡久御山町佐古内屋敷25 - 電話
- 0774-43-1263
- FAX
- -
- 公式サイト
- 浄土宗知恩院派 護念山 称名寺
稱名寺 浄土宗
称名寺・木造薬師如来坐像 久御山町
京都府久世郡久御山町佐古内屋敷、京都市の南に位置する久御山町の中央、京都南道路の新開地交差点から東へ約350mにある浄土宗知恩院派の寺院。
山号は護念山、本尊は阿弥陀如来坐像。
室町後期の1534年(天文3年)、西誉直住大徳による開基と伝わり、江戸後期の1774年(安永3年)に作られた「称名寺縁起」によれば、諸国行脚のある日、西誉直住大徳が京都日野の里の平山氏の家で一宿の志を受けた際に、家の持仏堂に安置されている行基菩薩の作と伝わる仏像と出会います。
平山氏によるとその仏像は鎌倉時代の建暦年間(1211-13)に鴨長明が「方丈記」を書いた近辺の外山の庵(京都市伏見区日野)に引きこもっていた時に自分の先祖に賜ったものであるといい、方丈には画像を安置しているので、もしお望みであれば賤屋の煙の中に置くよりも有難いことであると、快く譲ってくれたといいます。
1534年(天文3年)、仏像を譲り受けた直住大徳は仏像を肩に掛け、佐古村の吉岡氏を訪れますが、仏像を置いてしばらく休んでから、再び仏像を肩に掛けようとしたところ、盤石の如く動かなかったといいます。
さては佐古村は有縁の地なりと、吉岡氏に寺の建立と仏像の安置を依頼すると、吉岡氏は当家は先祖より念仏の家であり、昨夜この御仏が枕上に立たれたのも、我等に縁があるからであろうと言って、寺を建立し直住大徳を開基にしたといいます。
この本尊「木造阿弥陀如来坐像」は像高54.5cm、一木造、彫眼、漆箔、定印を結び右足を前にして足の表裏を結んで坐り、顔つきは童のような穏やかな表情が見られることなどから、平安後期彫刻の典型である定朝様が完成する少し前の10世紀末頃の作と考えられています。
保存状態は良好で、特に顔や手などの主要部分に大きな変更がなく、制作当初の彫りを残すのは貴重なものといい、1997年(平成9年)3月に久御山町有形文化財に指定されています。
また当院のある「佐古」」の集落はこの地方に残る典型的な環濠集落で、かつては四囲をほぼ正方形の堀で囲み、集落の中には称名寺のほかに善林寺、法蓮寺、東明寺、観音堂の諸堂宇があったといいます。
その後、法蓮寺、東明寺、観音堂は明治初年の神仏分離令に伴う廃仏毀釈によって廃寺となり、3か寺の仏像は称名寺に移座され、旧檀家によって現在も大切に守られているといい、本堂内には法蓮寺の旧仏である「木造薬師如来坐像」および東明寺の旧仏である「木造大日如来坐像」が安置されていて、いずれも藤原時代の作と伝えられています。
そしてこのうち法蓮寺の旧仏である「木造薬師如来坐像」は、像高138cm、檜の寄木造、内刳り像で、頭部は小ぶりでよく引き締まっていて、衣文のひだも流麗、体部は厚く、顔をやや前に突き出しているあたりにも定朝様の静的な表現から一歩踏み出している感があり、12世紀後半の作と考えられ、戦前の1917年(大正6年)に国宝に指定された後、現在は国の重要文化財(旧国宝)となっています。
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