京都府久世郡久御山町下津屋室ノ城、奈良平城京への遷都以来、都へとつながる水上交通の幹線だった木津川沿いの水運業で栄えた下津屋地区の木津川右岸(北岸)堤防に沿って細長く伸びた集落の東寄りに鎮座する神社で、現在は久御山町森宮東にある玉田神社の兼務神社の一社。
京都府教育会久世郡部会編の「久世郡祭神記」によれば、第45代・聖武天皇(しょうむてんのう 701-56)の神亀年間(724-29)、近国に大洪水があり民衆が飢えていた時、勅命にて天神地祇をこの地に奉祀したのがはじまり。
「神社要録」に室城とは室樹のことをいい、当社はこの地区を開拓した豪族の榎室連(えむろのむらじ)の祖を祀った神社と考えられ、また下津屋は古くから木津川の舟運の津として水運で栄えた集落であることから、津を守護するため住吉神社の神を祀ったものと考えられています。
1873年(明治6年)には村社に列格し、1877年(明治10年)には927年(延長5年)に編纂された当時「官社」に指定され官幣または国幣に預かったとされる全国の神社一覧である「延喜式神名帳」に記載のある延喜式内社と決定され、1953年(昭和28年)に神社本庁の包括の宗教法人となり現在に至っています。
現在の社殿は江戸初期の1630年(寛永7年)に木津川の堤切によって当社の壮大な社殿が記録とともに流出した後、規模が縮小して再建されたもので、今なお仮殿であると伝えられています。
現在の祭神は邇邇藝命(ににぎのみこと)、須佐之男命(すさのおのみこと)、大雀皇子命(おおささぎのみこのみこと)(仁徳天皇)、迦具土之命(かぐつちのみこと)(火の神)の4柱。
その他にも境内の摂社には水運の神である住吉社が祀られているほか、「津屋の森」と呼ばれる1100坪余りの広い境内からは絶えず小鳥のさえずりを耳にすることができ、年間を通じた鳥の楽園になっています。
また以前は境内に護国山神宮寺と称する宮寺を有していたといいますが、明治維新に際し除かれています。
行事としては毎年3月6日の「春祭り」にて、弓と矢を象った餅を釣台に載せて神前へ運ぶ「矢形餅(やかたもち)」の神事が知られています。
聖武天皇の時代に山城国一円に悪疫が流行した際、毎日多くの人が亡くなることを天皇は深く悲しまれ、自ら悪病退散の祈願をするため、奈良を出発して木津川を下り、天王山の宝寺(宝積寺)に参詣の後、下津屋の当社に行幸し、弓矢を献奉してその退散を祈願したといいます。
以来、当社では弓矢を形どった弓餅と矢形餅を作り、大根と人参のなます、目黒魚(アジかサバ)などの神饌とともに担いで、行列を整えて神社に向かい、を特殊神饌として神前に供え、悪病退散の祈願が行われた後、矢形餅は氏子や参詣人に与えられるといい、この餅を食べれば疫病除けになると伝えられていて、現在に至るまで神事は簡素化することなく続けられています。