京都市山科区北花山大峰町、地下鉄東西線御陵駅から西へ約500m、住宅地の立ち並ぶ旧三条通(旧東海道)沿いに入口のある法華宗寺院で法華宗大本山・本能寺の末寺。
約300年前の江戸中期、戒禅比丘隆韶(かいぜんびくりゅうじょう)大和尚が七本松内野(現在の京都市上京区鳳瑞町、立本寺の南付近)に開き、禅宗系の寺から法華の寺に改宗されたと伝えられています。
その後は代々尼寺として約20名の尼僧に代々受け継がれた無本山の寺でしたが、約200年前に法華宗の大本山本能寺の末寺となり、昭和初期に本堂、庫裡が改築されています。
そして1980年(昭和55年)には現在の山科の地に移転したものの、近年は檀信徒がほとんどなく、無住の荒寺となり廃寺の危機にありましたが、1992年(平成4年)に本能寺執事長を辞してこの寺に移り住んだ住職・岡澤海宣(おかざわかいせん)により復興が図られ、境内の整備はつるはし1本で参道作りから始められたといいます。
その後、1995年(平成7年)に住職自ら主宰する詩吟の会「吟道宣州流瑛心会」の吟友の勧めで寄贈を受けたという酔芙蓉(スイフヨウ)の苗を挿し木をして増やし、当初は100本ほどであったものが、現在では1500本もの酔芙蓉が群生するまでになり、近年は新聞や雑誌・インターネットなどでも紹介され名もない隠れ寺が一躍「酔芙蓉の寺」として知られるようになりました。
酔芙蓉は9月中旬~10月下旬にかけ、早朝に咲いて夕方にしぼむ一日花で、朝は純白、午後には淡い紅色、夕方から夜にかけては紅色に変化する花で、色の変化が酒を飲んだ時に顔色がだんだんと赤みを帯びるのに似ていることからこの名が付けられたといいますが、1000本以上群生する酔芙蓉は全国的にも珍しいといいます。
また「文学の寺」も目指しているとのことで、境内には数多くの文学碑や歌碑が建てられているほか、2003年(平成15年)には酔芙蓉観音像も建立され多くの参拝者が訪れるようになっています。