「京阪丹波橋駅」は京都市伏見区桃山筒井伊賀西町、京都市南部の伏見区の中心を通る大手筋通よりやや北、板橋地区との境界線に接する桃山地区にある京阪本線の駅。駅スタンプは京阪電車と近鉄電車。
1910年(明治43年)4月15日の京阪線が天満橋駅~五条駅(現在の清水五条駅)間での開業から2か月遅れの同年6月20日に「桃山駅」として開業したのがはじまりで、その3年後の1913年(大正2年)に現在の「丹波橋駅」の駅名に変更されました。
駅名の由来は駅の北側を東西に走る「丹波橋通」で、この点「丹波橋」とは安土桃山時代に伏見城の外堀である濠川に架けられていた長さ約15mの橋で、その東側、現在のキンシ正宗本社付近に織田信長の家臣・丹羽長秀や羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)に仕えた戦国大名・桑山重晴(くわやましげはる 1524-1606)(桑山丹波守)の屋敷があったことからその名がつき、更には一帯の地名になったといわれています。
そして1943年(昭和18年)10月に戦時中の企業統合政策によって、京阪電気鉄道が阪神急行電鉄(現在の阪急)と合併するといったんは阪急の駅となりましたが、戦後の1949年(昭和24年)12月に京阪神急行電鉄から京阪電気鉄道が再び分離独立すると、再び京阪の駅となり現在に至っています。
島式2面4線のホームを持つ待避可能駅で、北口は地下駅舎、南口は橋上駅舎となっていて、近鉄京都線の近鉄丹波橋駅とは南口から連絡通路で結ばれており、乗り換えが可能で、橋上駅舎内にはアンスリーやマツモトキヨシ、JTB京阪トラベル、SWEETS BOX、カスカード、麺座などの店舗が入居し営業を行っています。
一方北口は1987年(昭和62年)6月1日のダイヤ改正における急行の8連化に伴い、それまで有った北口の構内踏切を地下道にするとともにホームが北側に延長され、翌1988年(昭和63年)には北口の両側に京阪丹波橋東ビル、京阪丹波橋西ビルの2つの駅ビルが建造され出入口が設けられています。
「近鉄丹波橋駅」は京都市伏見区桃山筒井伊賀東町にある近鉄京都線の駅。
近鉄京都線の前身である奈良電気鉄道が1928年(昭和3年)に西大寺(現在の大和西大寺)から京都に至る路線を開業させた際に当地に「堀内駅」が設置されたのがはじまり。
この点、現在一帯には京阪および近鉄の2社の鉄道が同じ駅名で隣接し、相互に乗り換え可能となっていて、京都市南部、伏見地区における屈指の交通の要衝となっていますが、戦前は南側にある京阪の伏見桃山駅と奈良電気鉄道(近鉄の前身)の桃山御陵前駅にて2社の乗り換えが行われていました。
丹波橋駅での乗り換えが開始されたのは戦後の1945年(昭和20年)12月に桃山御陵前駅と京阪丹波橋駅とを結ぶ線路が新設されるとともにこの地にあった堀内駅を統合する形で奈良電気鉄道の「丹波橋駅」が設置されてからで、その後1968年(昭和43年)に電圧の昇圧や車両の大型化の影響によって相互乗り入れによる直通運転が廃止されるとともに近鉄の丹波橋駅が京阪より分離独立して「近畿日本丹波橋駅」が開業(1970年に「近鉄丹波橋駅」に改称)することなり、近鉄線との連絡線も撤去されましたが、現在も駅北側の駐輪場周辺や、駅南側の分岐線跡地などにその名残りを留めています。
相対式2面2線の地上駅で橋上駅舎を有し、京阪電鉄の丹波橋駅とは連絡通路で結ばれています。2002年(平成14年)からは近鉄の特急停車駅にも追加されています。
丹波橋駅は京阪と近鉄との乗り換え駅として多くの利用があるほか、駅の西側に伏見区役所や金札宮、伏見五福めぐりの一社で薩摩藩の祈祷所であった大黒寺(薩摩寺)、また駅から東側へ約1kmの所にある伏見桃山城運動公園や桓武天皇陵などの史跡・観光スポットの最寄駅にもなっています。