京都市左京区聖護院円頓美町、平安神宮の北側の丸太町通沿いに鎮座する神社。
祭神として稲荷神である宇迦之御魂神(うかのみたまかみ)、猿田彦神(さるたひこのかみ)、天宇受売神(あまのうずめのかみ)の3柱が祀られています。
社伝によると、江戸中期の1705年(宝永2年)に第113代・東山天皇の典侍・新崇賢門院が宮中にて寝ていると白狐(きつね)が夢枕に立ち、御所の辰(東南)の方角に森があるから、そこに私を祀って欲しいとのお告げがありました。
翌朝、新崇賢門院がその場所を訪問するとそこには霊夢の通りに聖護院の森があったため、そこに東山天皇の勅許を受けて小さい祠を建て、それが禁裏御所の辰(東南)の方角であったことから「御辰稲荷」と呼んだのがはじまりといいます。
そして「辰」の字が達成の「達」に通じることから、願望成就の人々の信仰を集め、「商売繁盛」のほかにとりわけ「芸事上達」の神様としても知られるようになったといいます。
この点、霊夢に現れた狐は「御辰狐」と呼ばれ、京の都では相国寺に棲んだと伝わる宗旦狐と並ぶ風流な狐で、琴を奏でるのが得意とし、明治時代までは聖護院門跡から鴨川にかけて広がっていたという聖護院の森を通ると、どこからともなく琴の音が聴こえてきたといいます。
そこで都人からは「京の風流キツネは、碁の好きな宗旦狐と、琴の上手な御辰狐」と謡われるようになり、このことから芸事をする人々、とりわけ花街の芸妓たちからの信仰を集め、現在も若い女性の参拝客が多いといいます。
また境内の本殿東側に祀られている福石大明神社には願いの叶う「福石」にまつわる次のような伝承が伝わっています。
昔、白川橋の畔に住んでいた貧しい夫婦が、妻が深く信仰する御辰稲荷にて百日の願掛けをしますが、満願の日に安堵のせいか境内でウトウトと寝てしまい、目が覚めると右手に真黒の小石を握りしめていました。
お稲荷様からの授かり物に違いないと、持ち帰って神棚に祀った所、その後、妻は身籠って玉のような可愛らしい女の子が生まれ、美しく成長するととある大名の目に留まってその側室となり、夫婦ともども幸せに暮らしたといいます。
以来この福石の伝説は人々の間に広く伝わり、今でも真黒石を持って幸運を祈願する参拝者は多いといいます。