京都市上京区飛鳥井町、「堀川今出川」の交差点より、今出川通を東へすぐの位置に鎮座する、明治天皇が創建した神社。
明治天皇の父で平安京最後の天皇となった孝明天皇は、崇徳天皇をを慕い、崇徳天皇の眠る讃岐国(香川県)の白峯陵からその御霊を京都に移して祀ることを幕府に命じますが、ほどなく崩御。
1868年(明治元年)に明治天皇によって父の遺志を継ぐ形で創建され、その後1873(明治6)年には淳仁天皇も合祀されています。
ちなみに崇徳天皇は平安末期の天皇で、源平が争った「保元の乱」で讃岐国(香川県)に、他方「日本書紀」を編集した舎人親王の皇子である淳仁天皇は奈良時代の天皇で、僧・道鏡と恵美押勝の争い「藤原仲麻呂の乱」で淡路島に、ともに配流となった悲運の天皇として知られています。
1940年(昭和15年)に官幣大社に昇格し、神宮号の宣下を受け、崇徳天皇の崩御の地である白峯山にちなん「白峯神宮」と名付けられました。
技術上達・必勝祈願のご利益で知られ、現在は球技愛好者より篤い信仰を受けており、社殿前にはサッカーや野球、バレーボールの日本代表チームや、Jリーグに所属する選手などから奉納されたボールやサイン色紙などが数多く見られます。
とりわけ1998年のW杯初出場の際にマスコミ等で紹介されたこともあり、サッカーの守護神として、日本サッカー関係者の参詣が多いことでも知られています。W杯や五輪で日本代表が使用したボールがあるほか、W杯が開催される際には応援絵馬も備えられるといいます。
これは元々神社のあった場所が蹴鞠・和歌の宗家・飛鳥井家(あすかいけ)の邸跡(明治維新後に東京に移ったが摂社として残された)であり、境内の地主社が飛鳥井家の守護神である「鞠の精大明神(せいだいみょうじん)」を祀り「蹴鞠の神様」として有名であることにちなんでいます。
ちなみに「蹴鞠」については現在も京都で一目置かれる存在であり、正月1月4日の下鴨神社の「蹴鞠はじめ」や、2月11日の上賀茂神社の「紀元祭」での蹴鞠奉納は、いずれも白峯神宮の蹴鞠保存会によるもの。
そして白峯神宮においても毎年4月14日の「春季例大祭・淳仁天皇祭」と7月7日の「精大明神例祭・七夕祭」に蹴鞠の奉納が行われていて、平安時代の雅な衣装に身を包んだ人々の蹴鞠を見ることができるほか、蹴鞠奉納の後には誰でも参加できる蹴鞠体験も行われています。
その他に行事としては蹴鞠と同じ7月7日の「精大明神例祭・七夕祭」で奉納される「小町をどり」が有名。
「精大明神」は「七夕の神」ともいわれ、彦星と織姫や元禄風の衣装・髪型に化粧を施した少女たちが芸能・学問の向上を祈って可憐に舞い踊る姿は京都の七夕の風物詩となっています。
また木々も豊かで、天皇家にゆかりの深いことを感じさせる「右近の橘」に「左近の桜」、薄黄緑色の花を咲かせる「黄桜」、京都では最大で樹齢800年、京都市指定の天然記念物でもある「小賀玉(おがたま)の木」や3本1組の葉が非常に珍しい「三葉の松」、「昭和天皇お手植えの松」などがあることでも知られています。