京都府京都市下京区東塩小路向畑町、京都駅の東、塩小路高倉交差点の南側に「新福菜館本店」と隣同士仲良く並んで営業を続けているラーメン店。
1947年(昭和22年)、田口有司が大衆食堂として「旭食堂」を開業したのがはじまりで、ラーメンのほかカレーやハンバーグなどの洋食もメニューに入っていたといいますが、その中でもラーメンが人気が高かったことから、1956年(昭和31年)に屋号を「第一旭」と改めラーメン専門店となりました。
元々京都駅付近には1938年(昭和13年)より中国浙江省出身の徐永俤が屋台でラーメンを売り始め、1944年(昭和19年)から京都駅東の塩小路高倉にて店舗を構えた「新福菜館」がありましたが、この新福菜館に土地を貸していたのが第一旭の創業者である田口有司で、新福菜館を手伝いながらラーメンの作り方を覚えていったといい、そのような背景から「新福菜館」と「第一旭」は現在に至るまで京都のラーメン店の草分け的存在として隣同士で店を構え、どちらもが行列のできるラーメン店を営業し続けているといいます。
その後第一旭は1977年(昭和52年)に元従業員であった佃栄子が第2代経営者となった後、2010年(平成22年)に森田孝士が第3代経営者となり、屋号を「京都たかばし 本家 第一旭」へと変更していますが、この「たかばし」とは、店のすぐ近く、JR東海道本線および奈良線の線路上に架かる京都伏見線の跨線橋「高倉跨線橋(たかくらこせんきょう)」の通称である「たかばし」に由来するものだといいます。
この点、現在も「第一旭」と名のついたラーメン店は京都や、その他にも愛知、岐阜、大阪など全国各地に存在していますが、これはのれん分けで新たな店舗ができたり、チェーン展開をしたりと多店舗経営を行っていた時の名残りで、急速な多店舗展開が仇となって不採算となり、最終的には本店のみが残されることになったといいます(ただしその後、2018年12月に新宿に直系の店舗を出店している)。
その他の店舗としては、まず第一旭の経営を受け継いだ佃栄子の実弟・佃功が1986年(昭和61年)に株式会社第一旭を設立して、1967年(昭和42年)に「第一旭」の2号店として開店した京都府城陽市の寺田店を旗艦店としてフランチャイズ化した「特製ラーメン 第一旭」が全盛期には数多くの店舗を運営していましたが、1997年(平成9年)に会社が倒産し、フランチャイズ店の中にはその後も独立採算で運営を続けている店もあるといい、寺田店も「本家 第一旭たかばし 寺田店」として運営を続けているようです。
その他にもクーデションカンパニー株式会社という外食企業によってフランチャイズ化された「京都ラーメン豚骨たかばし醤油」や、創業者・田口有司の3人の息子がそれぞれ開業した鳥取の「元祖 第一旭(現・大ちゃんラーメン)(長男・大森高男)」、愛知の「本店 第一旭(次男・高山安弘)」、兵庫の「神戸ラーメン第一旭(三男・田口隆弘)」などがありますが、いずれもが「本家第一旭」を自らの祖としているようです。
豚骨をベースに玉ねぎを加え、醤油で調味したさっぱりとしたどこか昔懐かしいスープが特徴で、やや太めのストレート麺に、たっぷりと乗せられた九条ネギとシャキシャキとしたみずみずしい食感緑豆もやしがアクセントとなり、シンプルな中にもごまかしの一切ない昔ながらの「中華そば」を楽しむことができます。
店では麺の硬さはもちろん、脂や醤油の濃さネギやもやしの量、チャーシューの種類なども無料でリクエストできるほか、お土産販売や、更には現在は通信販売も行っているようです。