京都市下京区天神前町、西洞院松原の交差点角に鎮座。
社伝によると、794年(延暦13年)の平安京遷都の折に、空海(弘法大師)が大和国宇陀郡から天神(あまつかみ)を勧請し創建したと伝わり、洛中の神社では古い歴史を持つ神社の一つで、古くから医薬・禁厭(まじない)の神として信仰されていました。
平安末期には祇園社の末社だったといい、平安から鎌倉初期に天皇家の支配下に。
当初は「天使の宮(天使社)」と称していましたが、後鳥羽天皇の時代に「五條天神宮」と改められました(松原通は豊臣秀吉の京都改造まで五条通だった)。
創建当初から広大な境内地を有していたといいますが、1528年(大永8年)の大火で記録を失い、天正年中(1573-92)に社殿を造営するも、その後も1788年(天明8年)の大火での類焼や1864年(元治元年)の「蛤御門(はまぐりごもん)の変」での社殿焼失など、中世以来、度々火災に遭い規模は縮小を余儀なくされました。
現在の社殿は近時の再建で、1888年(明治21年)に今の幣殿を再建、1933年(昭和8年)10月に本殿をはじめとした各建造物を改築し現在に到ります。
行事としては2月の節分の日に授与される「宝船」で有名。
この宝船の古図は日本最古のもので、船に稲穂を一束乗せただけの簡素なものですが、厄除け・病除けのご利益で広く親しまれています。
ちなみに「天神」とあるものの菅原道真とは直接の関係がある訳ではありませんが、境内社として道真を祀る末社・筑紫天満宮があり、「洛陽天満宮二十五社順拝」の第3番となっています。
また「義経記」では源義経(牛若丸)が武蔵坊弁慶と出会った場所とされていて、謡曲「橋弁慶」でも弁慶は五条天神に丑の刻参りに訪れた際に五条大橋に現れる牛若丸の存在を聞いて橋へと向かったとされ、その様子は京都では有名な「祇園祭」の山鉾の一つ「橋弁慶山」でも描かれおなじみの光景となっています。