大通寺(遍照心院)

大通寺(遍照心院)

 

 

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大通寺(遍照心院)とは?(基本データ)

名前
大通寺(遍照心院)(だいつうじ(へんしょうしんいん))
エリア
京都駅
ジャンル

寺社

正式名
萬祥山 遍照心院 大通寺
建立・設立
963年(応和3年)、「六孫王」こと源経基の子・源満仲が、遺言に従って邸宅「八条亭」跡に霊廟を建て、墓前に社殿を造営(現在の六孫王神社)
1222年(承応元年)、暗殺された夫を弔うために出家した鎌倉3代将軍・源実朝の妻・本覚尼が、六孫王神社の地に「遍照心院(へんしょうしんいん)(現在の大通寺)」を建立し、六孫王神社をその鎮守とする
1911年(明治44年)、旧地が旧国鉄の用地となり、六孫王神社を残して現在地に移転
創始者
本覚尼(鎌倉3代将軍・源実朝の妻)
宗派
真言宗単立寺院
山号
萬祥山
本尊
宝冠釈迦如来
寺紋
牡丹紋
アクセス
  • JR「京都」駅下車 徒歩約20分
  • 京都市営地下鉄烏丸線「九条」駅下車 徒歩約10分
  • 近鉄京都線「東寺」駅下車 徒歩約5分
  • 京都市営バス「九条大宮」(18・特18・19・42・71・78・202・207・208号系統)下車 徒歩約2分
  • 京阪バス「東寺南門」(26系統)下車 徒歩約2分
  • 名神高速道路「京都南IC」より北へ車で約10分
駐車場
なし
拝観料
-
お休み
通常非公開(要予約)
拝観時間
-
住所
〒601-8437
京都府京都市南区西九条比永城町1
電話
075-691-1439
FAX
075-691-0952
公式サイト
大通寺(遍照心院) 京都市南区にある真言宗のお寺さん

大通寺(遍照心院)の地図

大通寺(遍照心院)のみどころ (Point in Check)

京都市南区西九条比永城町、世界遺産・東寺の五重塔が見える九条大宮交差点から大宮通を南へ80mほど下がった東側にある真言宗単立寺院。
山号は萬祥山で、本尊は宝冠釈迦如来。

平安中期、西八条(現在の八条壬生付近)には第56代・清和天皇の孫で、「清和源氏」の始祖とされる源経基(みなもとのつねもと 917?-961)が生前に「八条亭」と呼ばれる邸宅を構えていました。

経基は第56代・清和天皇(せいわてんのう 850-81)の六男・貞純親王(さだすみしんのう 873?-916)を父に持つことから、六男の「六」と清和天皇の「孫」ということで「六孫王」と呼ばれたといい、15歳の時に元服して源の姓を賜わり、先例に従い臣籍に加えられたといい、「承平・天慶の乱」では東国・西国の追討使として現地に派遣され、凱旋の後に鎮守府将軍に任じられたことで知られる人物です。

961年(応和元年)、経基はその臨終に臨み「霊魂滅するとも龍(神)となり、西八条の池に住みて子孫の繁栄を祈る故にこの地に葬れ」と遺言したといい、それを受けて963年(応和3年)、経基の子・源満仲(みなもとのみつなか・みちなか 912-97)が、遺言に従って邸宅跡に霊廟を建て、墓前に社殿を造営したのが現在の「六孫王神社」だといわれています。

その後この地は「六ノ宮権現(ろくみやごんげん)」、あるいは今昔物語では「六の宮」などと呼ばれ、芥川龍之介の「六の宮の姫君」や与謝野蕪村らの作品に登場するとともに、小泉八雲の「怪談」でも「弁天の同情」と題して不思議な夫婦の出会いの話が描かれていることで知られています。

そして260年余り経過した鎌倉時代の1222年(承応元年)、暗殺された夫を弔うために出家した鎌倉3代将軍・源実朝(みなもとのさねとも 1192-1219)の妻・本覚尼(坊門信子・西八条禅尼)(ぼうもんのぶこ・にしはちじょうぜんに 1193-1274)は、真空回心を請じて六孫王神社の地に寺院を建立して「萬祥山遍照心院大通寺(へんしょうしんいん)」と名付け、六孫王神社をその鎮守とします。

「尼寺」の通称で親しまれ、実朝の母・北条政子(ほうじょうまさこ 1157-1225)も大いに援助したといい、その後中世三大紀行文の一つである「十六夜日記(いざよいにっき)」の著者として知られる阿仏尼(あぶつに 1209-83)も入寺し、亡夫・藤原為家(ふじわらのためいえ 1198-1275)を供養したといい、境内にはその墓とされる「阿仏塚」もあります。

足利尊氏・義満をはじめ源氏の流れを組む足利幕府によって手厚く保護され、その後「応仁の乱」の兵火に遭うも織田・豊臣氏の崇敬も篤く、徳川家代々も大いに興隆に尽くしたといい、元禄年間には今の六孫王神社が造営され、広大な敷地と庭園のほか、7つの塔頭寺院を有し、東は大宮、西は朱雀、南は八条、北は塩小路を境とする広大な境内を有していたといいますが、明治維新後の「神仏分離令」に伴う廃仏毀釈に遭い、更に1911年(明治44年)には旧地が旧国鉄の用地となったため、六孫王神社を残して現在地に移転することとなり、社領を失うなどして衰退し、経基の墓所だけが残されたといいます。

寺宝としては、創建当時から伝わる「善女龍王画像」「醍醐雑事記」が重要文化財に指定。
また「実朝木座像」や「本覚寺置文2巻」「阿佛尼真蹟」「阿佛塚」など国文学の歴史上重要な人物を偲ぶことができるものも多く、更には足利尊氏や義満の文書も多数所蔵されているといいます。

そして多くの寺宝はこれまでも京都国立博物館や京都文化博物館、大阪市立美術館などで公開されていますが、寺での一般公開は行っていないといいます。

通常非公開の寺院で、予約すれば拝観ができる場合もあるとのことですが、現在誰でも自由に参拝ができるのは12月31日の「除夜の鐘」の時のみだといいます。

またその他にも毎年10月の体育の日に行われる六孫王神社の「宝永祭」の際には、神輿が氏子百数十名に担がれて当寺を訪問することとなっており、神輿に対し般若心経が奉納されます。

大通寺(遍照心院)の施設案内

 

境内

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    山門

     

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    寺号標

    山門手前右

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    駒札

    山門手前右

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    「根本道場 大聖歓喜天」の石標

    山門手前左

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    参道

     

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    鐘楼

    山門くぐってすぐ右

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    不動堂

    鎌倉期の作で高さ約1.5mの大不動明王を安置

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    弘法大師像

     

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    阿仏塚

     

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    中門

     

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    玄関

     

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    本堂

    本尊として鎌倉期作の宝冠釈迦如来像、その左脇に等身大の源実朝像を安置

関連

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    六孫王神社

    明治初期の「神仏分離令」までは大通寺の鎮守社であった
    現在も神社の「宝永祭」の神輿巡行の際には大通寺を訪れ、神輿に般若心経が奉納される

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    兒水不動明王堂

    六孫王神社の北
    大通寺の移転前は寺の境内で「兒ノ水」として知られていたという
    大通寺の移転後も「兒水」は残り「兒水不動明王堂」として現在も信仰を集めているという

周辺

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    大宮通

     

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    九条大宮交差点

     

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    東寺

     

大通寺(遍照心院)の主な年間行事・カレンダー

年中行事

1/27

源実朝忌

 

3月春分の日

春彼岸会法要・施餓鬼法要

 

9月秋分の日

秋彼岸会法要・施餓鬼法要

 

10月体育の日

六孫王神社 宝永祭

六孫王神社の神輿が氏子百数十名に担がれて寺を訪れ、神輿に般若心経を奉納する

12/31

除夜の鐘

11:40
檀家以外も広く参加できる

月並行事

毎月21日

写経会

弘法大師空海の命日の21日、弘法さんの日の10:00~12:00に般若心経の写経会を行う

花ごよみ

 

 

 

大通寺(遍照心院)の口コミ

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