京都府与謝郡与謝野町加悦天神山、京都府北部の「丹後ちりめん」の産地として栄えた与謝野町の観光スポットとして知られる「ちりめん街道」沿い、加悦(かや)の町並みを見下ろす天神山の山上に鎮座し、学問の神様として崇められている菅原道真(すがわらのみちざね 845-903)を祀る神社。
創建は不詳なものの丹波道主の子孫とされ、菅原道真に仕えた細目道春の子・細目倉彦が、道真が九州・太宰府に配流となった後、丹後に戻り、道真亡き後に道真の霊を祀るために中郡(丹波郡)に設けた2社のうちの1社と伝えられています。この点、細目氏は細目より細見の姓となり、代々神宮として奉仕したといいます。
その後、与謝郡四辻天神河原、鎌倉末期の1329年(嘉歴4年)には加悦町宮野、更に戦国時代の1586年(天正14年)には安良山城主・有吉省宥ら4名により天神山と、3度の奉遷の後に現在地に鎮まり、以後は歴代領主の崇敬も集めるとともに、江戸時代には宮津藩主からも庇護され、明治期に入ると1873年(明治6年)に村社、そして1921年(大正10年)には郷社に列されました。
参道の石段137段は明治36年に菅公一千年祭記念事業として再建されたもので、石段の先に本殿があり、眼下には「ちりめん街道」や加悦谷平野を望む山の上にあります。
更に天神山の頂上には、吾野姫命を祭神とし927年(延長5年)にまとめられ当時「官社」に指定されていた全国の神社一覧である「延喜式神名帳」において延喜式内社とされた「吾野神社(あがのじんじゃ)」が合わせ祀られています。
そして現在の本殿は江戸中期の1733年(享保18年)に建立され、元々は石段の正面にありましたが、1927年(昭和2年)の「丹後大地震」で社地が崩れ、社殿の倒壊が危惧されたことから、現在の場所へと移転されています。
豊富な絵様や彫刻の飾り立てなどで建物を豪壮に見せるなど、当時の丹後地域における神社建築の特徴をよく表す好例として2006年(平成18年)に京都府指定有形文化財となっているほか、併せて本殿の脇にある鎌倉後期作の八角形石燈籠も保存状態も良く、中世の丹後地方を代表する石燈籠として京都府指定有形文化財となっています。
また境内に広がる天神の森は本殿を守る上で一体のものされ、「天満神社文化財環境保全地区」として文化財環境保全地区に指定されています。
行事としては4月の最終土曜・日曜日に開催される、五穀豊穣を願う春の例祭で、祇園祭に流れをくむ地域最大の例祭「加悦谷祭(かやだにまつり)」が有名です。
かつては集落ごと、または神社ごとに春や秋に行われていた各々の祭礼を、1887年(明治20年)頃に加悦天満宮(天満神社)の「天神祭」の例祭にあわせて4月25日に統一し、前後を含む3日間としたのが、現在の加悦谷祭の原型で、天満神社(加悦天満宮)をはじめ、後野愛宕神社や四辻八幡神社ほか16地区38神社が参加して盛大に行われます。
当日は神楽舞・太刀振り・芸屋台・御輿の練り歩きなど、各地区の神社ごとに特色ある祭礼・行事が盛大に繰り広げられ、このうち旧加悦町後野地区の愛宕神社の屋台行事は「府登録無形民俗文化財」にも登録されています。
この点、天満宮においては「神輿渡御」を中心に神楽、屋台、子供神輿を見ることができ、中でも神輿が137段の石段を降り登る様は圧巻です。