京都府久世郡久御山町野村、久御山町の中央、京阪国道1号線の「久御山森」交差点より南西約200mの所に鎮座する樟(クスノキ)の老木に囲まれた神社で、現在は久御山町森宮東にある玉田神社の兼務神社の一社。
詳しい創建の経緯は不明ですが、江戸時代は祇園精舎の守護神とされる牛頭天王(ごずてんのう)を祭神とする「牛頭天王社」と称し、東西23間、南北80間の広大な境内地の中に、八幡山橋本坊末寺の長福寺、地蔵院、蔵王権現社が建立され、神仏混交の神事が行われる神仏集合の顕著な神社であったといいます。
やがて明治維新を迎え「神仏分離令」によって仏教色の一掃が義務付けられると、牛頭天王は仏号であるという理由から「野村神社」と改められるとともに、境内の長福寺を廃し、地蔵院は拝所を西向きに変えて神社と分離されました。
更に広大な境内地は上地を命じられ、433坪が境内となり、1881年(明治14年)3月、社名を「常磐神社」と改称して今日に至っています。
現在の社殿のうち本殿・末社・舞殿・蔵王社・社務所は老朽化に伴い、1993年(平成5年)10月より新・改築工事が行われたもので、このうち「本殿」については精巧な彫刻を残すための工法が採用され、1994年(平成6年)9月18日に遷宮祭が執行されていますす。
祭礼としては毎年10月16日の「秋祭り」にて頭芋を台にした竹串に柿・栗・柚を刺した神饌が供えられるほか、3月6日に開催される「蔵王社」の「春祭り」では「鉢巻飯(はちまきめし)」と呼ばれる神饌を供える古習が今日に至るまで継承されています。
地元では通称「らおさん」と呼ばれる「蔵王社」は水の配分を司る天之水分神(あめのみくまりのかみ)(水分大明神)を祀る常磐神社の境内摂社で、春祭では農業をはじめ生活に必要な水を頂けるようにと祈願されます。
そして「鉢巻飯」は海の幸、山の幸に円錐型に作った15cmほどの細長い握り飯に藁で編んだしめ縄を鉢巻のように結んだもので、春の祭典で、牛頭天王(ごず)(素戔嗚尊)のお告げがあり、人間は何時も頭に鉢巻を締めている気持ちで額に汗しながら仕事に精を出すことを忘れないようにと、鉢巻飯を作って勤労の尊さを知らしめしたことに由来する神事だといわれています。
毎年3月5日の前後は二十四節気の3番目で大地が暖まり冬眠していた虫が春の訪れを感じて穴から出てくるという意味を持つ「啓蟄(けいちつ)」の日とされ、春の季語にもなっていて、日本人が「働くぞ」と意気込む日でもあるといい、神事には神様に良い水を分けて頂くにあたって自分たちも頭に鉢巻を締めて一生懸命に農作業に励もうという意味が込められているといいます。
1690年(元禄3年)以降の近世文書によれば「御弓事」と呼ばれる神事で、以前は境内で弓を射る神事もあったといいますが、現在は本社と蔵王社、そして地蔵堂に鉢巻飯を供える神事として続けられています。