京都府久世郡久御山町佐山双置、京都府南部の久御山町の南側、国道1号線と府道15号宇治淀線の交わる佐山の交差点から府道15号をやや東へと進んだ先にある、「国穏山快楽院(こくおんざんけらくいん)」と号する浄土宗の寺院。
山号は国穏山、本尊は快慶作と伝える阿弥陀如来立像で、洛南の「椿寺」として知られている寺院です。
寺伝によれば、平安後期の1053年(天喜元年)、仁海(にんがい 951-1046)によって創建された浄福寺(じょうふくじ)がそのはじまりで、1124年(天治元年)に椏本八幡宮(あてもとはちまんぐう)(現在の雙栗神社(さぐりじんじゃ))の神宮寺となり、鎌倉末期の1331年(元弘元年)には勅願寺となったといいます。
そしてその後、戦国時代の1573年(天正元年)に宇治平等院の玄誉徹公(げんよてつこう)によって中興され、第106代・正親町天皇(おうぎまちてんのう 1557-86)から寺号と勅額を賜っています。また江戸時代には「城南近在三十三所観音霊場」の第18番札所でもあったといいます。
境内には450年の歴史を有し快慶作と伝える阿弥陀如来立像を安置する本堂のほか、観音堂や鐘楼などがありますが、このうち観音堂に安置されている聖観音菩薩立像は、像高142cmの欅(けやき)一木造漆箱で、仏師・定朝(じょうちょう)の父・康尚(こうじょう 990-1020)時代の特色を備えた秀麗な美作であり、江戸初期1676年(延宝4年)の「椏本八幡宮縁起」に安阿弥(あんなみ)(快慶)の作と記され、近世の地誌である「山州名跡志」にも同様に記されているといい、久御山町指定文化財に指定されています。
また茶室「聞名庵(もんみょうあん)」は椏丸太普請の2階建の数寄屋造で、第8代京都市長を務めた安田耕之助(やすだこうのすけ 1883-1944)の別邸から移築されたものだといいます。
現在はとりわけ椿の名所として知られていて、2月中旬~4月中旬にかけて江戸後期から伝わる固有種で門外不出ともされ、親指くらいの小さな白い花を咲かせる「浄安寺椿」をはじめ、ここでしか見られない稀少品なども含め230種を超える椿が次々と花を咲かせます。
見頃の期間中には「椿展」が開催され、本堂に約50種の椿の一輪挿しの花瓶も飾られるほか、お茶のふるまいなどのおもてなしもあり、多くの参拝者の心を癒してくれます。