京都府久世郡久御山町東一口、京都市の南に位置する久御山町北側の東一口地区、京阪淀駅から宇治川を挟んで東にある浄土宗知恩院派の寺院。
山号は紫金山、本尊は十一面観音菩薩立像。
安養寺所蔵の「弥陀次郎縁起」によれば、鎌倉初期の1192年(建久3年)、殺生を好み「悪次郎」と呼ばれるほど嫌われ者であった東一口の漁師・次郎が、釈迦如来の化身の高僧に出会ったことから信仰心を持つようになり、3月17日の夜、夢のお告げを受けて翌朝の日の出頃に淀川の神木淵(現在の伏見区淀町付近)から十一面観世音菩薩を引き上げたといいます。
そして堂を建てて仏像を祀ったことから、その信心によって「弥陀次郎(みだじろう)」と呼ばれるようになったと伝えられていて、それ以降観音信仰の寺として有名となり現在に至っています。
そして毎年春の彼岸前の土日には弥陀次郎伝説を奉賛し今に伝える祭として「春祭り」が開催され、法要が営まれるとともに「双盤念仏(そうばんねんぶつ)」が連日にわたって響き渡り、また稚児行列なども行われ盛大に供養が行われます。
この点「双盤念仏」は鉦講の10人が双盤と呼ばれる大型の伏鉦(ふせがね)を打ち鳴らしながら、独特の節回しで六字詰念仏を唱える200年以上続く伝統行事で、初日の午後10時半からの初夜の前鐘・勤行から始まり、翌朝の御開帳、日中、そして閉帳と計8回、荘厳な鐘とともに奉納され、集落に鳴り響く鐘の音が久御山の人々に春の訪れを告げる恒例行事となっています。
こうした双盤念仏は京都市内の真如堂(真正極楽寺)の「お十夜」でも行われていますが、南山城地域では現在は安養寺が唯一であり、地元の若者らで組織する安養寺双盤念仏保存会が継承を続けていて、「東一口の双盤念仏」として京都府無形民俗文化財にも登録されています。
また観音菩薩の慈悲を願う法要は、33年毎を目安に長期間の大法要が行われますが、これは観音菩薩が33の姿に化身して民衆を救うという「観音経」の経典に由来するといわれています。