伏見稲荷大社の外拝殿の南側に隣接し、江戸中期の国学者で学業上達・合格祈願のご利益で知られる荷田春満(東丸)(かだのあずままろ 1669-1736)を祭神として祀る神社。祭神名は荷田東丸命(かだのあずままろのみこと)。
伏見稲荷大社の楼門をくぐってすぐ右手にあり、伏見稲荷の境内から直接入ることができますが、伏見稲荷の摂末社ではなく独立した別の神社です。
荷田春満は江戸中期の人で、江戸時代を代表する国学者として知られている人物です。
ちなみに国学とは江戸時代を代表する学問の1つで、当時学問を志すものが極端に漢学を尊ぶ時代背景の中で「古事記」や「日本書紀」「万葉集」など日本古来の古典を研究することで、日本固有の文化や思想、精神を見出す学問です。
春満は伏見稲荷大社の社家に生まれ、幼い頃より歌道、書道、学問に優れたといい、その後は国学や和歌の研究で世に認められ、門下生の賀茂真淵のほか本居宣長、平田篤胤とともに「国学の四大人」といわれました。
幕臣にも取立てられ、第8代将軍・徳川吉宗から信頼されていたといい、政治について意見を聞かれることも多かったといいます。
そしてこの国学は江戸時代に大きな影響を与え、数多くの学者を生み出し、やがて明治維新の思想的原動力になっていくこととなります。
また春満は「忠臣蔵」に登場する吉良上野介に古典を教えていたとも言われていて、赤穂浪士に吉良邸の図面を渡し吉良邸討入りのための情報を伝えた人物ともいわれています。
その後、明治期に入った1883年(明治16年)に春満に正四位が追贈されたのを機に、当時の伏見稲荷大社の宮司らが中心となって政府に神社の創建を申請。寄付を募って社殿が造営されたといいます。
そして1936年(昭和11年)に現本殿に改築されて現在に至っており、学業向上、受験合格の神として広く崇敬されています。
境内には合格祈願の絵馬がずらっと並ぶほか、入口付近にある「としまいりの石」は本殿横に置かれている竹棒を年齢の数だけ持ち、本殿と「としまいりの石」との間を心静かにまわり、お願いの都度、持っている竹棒を一本ずつ元の箱に納めていくことで心願成就のご利益を授かるというお百度参りのような参拝方法です。
この他にも神社の鳥居のすぐ右隣には、国の史跡とされている「荷田春満旧宅」および墓地があることでも知られています。