京都市右京区嵯峨野宮ノ元町、京福電鉄嵐山線(嵐電)の「有栖川」駅より南東へ約200mの三条通沿いに位置する神社。
祭神として天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)を祀る神社で、伊勢神宮に奉仕する「斎宮」が有栖川の辺に「野宮」を建て、精進潔斎をした旧跡と伝わり、野宮神社とともに嵯峨野における野宮の旧跡の一つとして知られる神社です。
この点「斎宮」とは、伊勢神宮に仕える未婚の皇女(現在の内親王)もしくは女王(それ以外の女性皇族)のことで、天皇が新たに即位するごとに、天照大神の御杖代(みつえしろ)として伊勢神宮に遣わされ、飛鳥時代、7世紀後半の天武天皇の頃に制度化された後、南北朝の後醍醐天皇の時代以後に廃絶するまで約660年間続き、合計64人の斎宮が派遣されたといいます。
この斎宮は天皇の即位に際して卜定(ぼくじょう)、すなわち占いで選ばれといい、斎宮に選ばれた皇女・女王は、伊勢へ向かうまでの間、心身を清めるための潔斎所に篭もるのが慣わしでした。
まず御所内の初斎院(しょさいいん)で1年間潔斎した後、御所の外の浄地に「野宮(野々宮)(ののみや)」を設けて潔斎所をその地に移して3年の間潔斎したのち、伊勢に向けて行列が群行(ぐんこう)していくという流れとなるのですが、斎宮神社はこのような「野宮」の一つ「有栖川禊(ありすがわのみそぎ)」の旧跡とされている場所です。
寛文年間(1661-72)に社殿を改築して1669年(寛文9年)に遷宮が行われ、その後1848年(嘉永元年)の改築を経て、現在の社殿は1955年(昭和30年)に改築したものです。
その他の見どころとしては三条通沿い南側の正面鳥居が神明式の白木鳥居であるほか、千代の古道に点在する「さざれ石」、更に境内にある樹齢数百年で板根は2m近くもあり京都市の保存樹に指定されている椋(ムクノキ)の御神木などがあります。
ちなみにこの他に下嵯峨街道(三条通)にも同じくムクノキの大木が2本あり、かつての斎宮神社の社地の広さを物語っていたということですが、 交通量の激増により1960年(昭和35年)に伐採されてしまっています。
最後に「野宮」は天皇の即位毎に定められ、野宮神社の場所に固定されるまでは一人の潔斎が終わるごとに取り壊されていたために、周辺には野宮跡と言われる社が他にもいくつかあり、神社になっているケースも複数あります。
西院・野々宮神社は各地に残る野宮の名称の発祥の地で、平安時代最初の野宮があった由緒ある地といわれ、桓武天皇の皇女で斎王となった布勢内親王を祀っている神社です。
野宮神社は嵐山の有名な竹林の小経の中にあり、第53代・嵯峨天皇の皇女・仁子内親王を最初として以降、野宮として用いられたと伝えられる有名な神社です。
また京都市右京区嵯峨柳田町にも斎明神社(神明神社)という名前の神社があります。