京都市東山区今熊野劔ノ宮町、東福寺や泉涌寺(御寺)の北側、東山の音無川と今熊野川の合流点近くに鎮座し、地元民からは「剣(つるぎ)さん」と呼ばれて親しまれている神社。
祭神として伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)、邇邇藝命(ににぎのみこと)、そして白山姫命(しらやまひめのみこと)を祀ります。
江戸時代の天明、天保期に火災に遭ったため創建の詳しい経緯などは不明も、社伝によると794年(延暦13年)の平安京遷都の際に王城鎮護のために都の巽(東南)の地である当地に宝剣を埋めて神殿を建立したのがはじまりとされています。
また神社のある今熊野一帯は、かつては平安京の三大葬送地の一つとして知られる「鳥戸野」の地だったことから、高貴な人々の葬送の際に副葬品として共に埋葬された鏡や刀剣などが後の時代に偶然発掘され、これらの刀剣を奉祀するため神社として祀ったとも考えられているようです。
その後、室町時代の1470年(文明2年)に兵火に遭い、一時は泉涌寺に組み入れられて守り神とされたとも、また江戸期には幕府の手で修理されたと記録に残されているともいいます。
そして現在は今熊野一帯の産土神として信仰を集めるほか、「子供守護」「子供の守り神」として有名で、とりわけ子供の疳虫封じ・夜泣き封じに霊験あらたかといい、遠くから参拝に来られる人も多いといいます。
その他にも本殿横の塀にはにはトビウオを描いた珍しい絵馬が多数奉納されているほか、二の鳥居の傍らには、石を撫でた手で自分の気になる箇所を撫でると効果があるという「撫で石」があることでも知られています。
行事としては2月11日の「つるぎ御弓始祭」が有名で、弓矢を使い四方、そして最後に鬼門の方角である北東に据えられた「鬼」と書かれた的に矢を放ち、厄除けを祈願します。
また毎年11月上旬には、みかんを神前で焼いて参詣者に配り、子供たちの健康を祈願する「三疳封じ火焚祭(みかん封じ)」も行われ、焼きみかんを食することで夜泣き、ひきつけ、喘息や風邪の予防のご神徳を得ることが出来るといいます。