京都市左京区東大路仁王門上る北門前町、東山二条の交差点の南東角にある妙傳寺の南側の東大路通沿いにある時宗遊行派の寺院。
本尊は阿弥陀三尊像ですが、地蔵堂に祀る眼病にご利益のある「明眼地蔵(あけめじぞう)」で知られています。
平安初期、大内裏の東、大炊御門大路の北(現在の室町通竹屋町下ル道場町)にあった第58代・光孝天皇(こうこうてんのう 830-87)の「小松殿」に地蔵菩薩を安置され、その没後に天台宗の「小松寺」としたのがはじまり。
この点、光孝天皇は第54代・仁明天皇(にんみょうてんのう 808-50)の第3皇子で、「小松帝」とも称され、常陸太守や中務卿、上野太守、大宰帥、式部卿などを歴任した後、884年(元慶8年)に55歳にして即位。
これは当時の実力者であった太政大臣・藤原基経(ふじわらのもとつね 836-91)の奏請によるもので、その後は政治については基経を通じて奏上させる形を取ることになり、これが実質的な「関白」の初めとされ、この時代に藤原氏の摂関政治が確立されたといわれています。
その後、鎌倉時代に時宗の宗祖・一遍(いっぺん 1239-89)が中興して時宗道場の「小松院聞名寺」と改め、更に桃山時代には豊臣秀吉の寺町整備により寺町夷川に移転。
それから江戸中期の1708年(宝永5年)に「宝永の大火」により焼失し、その後現在地にて再建されています。
境内正面右手の地蔵堂に安置されている「明眼地蔵(あけめじぞう)」は光孝天皇が皇子時代(時康親王)に眼病を患った際、天皇の夢に現れた老翁のお告げに従い慈覚大師円仁に地蔵菩薩を彫らせて祀ったところ、たちまち病が平癒したといい、以来「眼病治癒」に霊験あらたかとして広く信仰を集めています。