京都市上京区幸神町、京都御所の北、出町柳商店街を少し西に行った先の閑静な住宅地の中に鎮座する小さな社。
創建はあまりにも古く、定かなことは不明も神代の時代に遡るといい、天武天皇の時代の白鳳元年に再建されました。
その後794年(延暦13年)の平安京造営の際には平安京の東北の鬼門にあたることから、都を守る神(鬼門除け)として出雲路道祖神が造営されたと伝わっています。
この点、都の東北隅に「さいのかみ」を祀るのは奈良の都以来のことだったといいます。
社殿の東北隅には京都御所の「猿ヶ辻」と同じように、北東を向いて御幣を担ぐ木彫の猿が安置され、左甚五郎の作と伝えられています。
元々は現在地より北東300mの賀茂川畔に祀られていたといいますが、室町時代に「応仁の乱」によって焼失。
その後安土桃山時代に豊臣秀吉の命により社域が縮小され、江戸時代(1862年(天和2年)の記述)に入って現在地に移された際に現在の社名となりました。
主祭神として猿田彦神を祀り、方除け、交通安全・旅行安全のご利益があることで知られています。
(猿田彦神は天孫降臨の際に、天照大神に遣わされた孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を道案内したことで知られ、その風貌から天狗の原型ともいわれている)
また道案内をした縁で猿田彦大神と結ばれた天鈿女命(あめのうずめのみこと)も祀られており、この夫婦二神が祀られていることから恋愛成就・縁結びのご利益もあるといわれています。
(天鈿女命は天岩屋戸に隠れた天照大神を踊りで岩戸から出した女神で芸能上達の神として知られている)
ちなみに「さいのかみのやしろ」の読みは「塞の神(さいのかみ)」に由来。
「塞の神」は道祖神のことで、疫病や災害などをもたらす悪霊が道を通って外から侵入してくるのを防いでくれる守護神として崇められています。
もっとも近年は「幸神社=さちじんじゃ」と呼び、幸福を招く神社として参拝されることもあるといいます。