京都市中京区天性寺前町、三条寺町の交差点の北東の寺町専門店会商店街内にある寺院。
京都随一の繁華街である四条河原町から徒歩圏内の寺町通沿いにあり、境内には赤い提灯が数多く飾られていて、夜になると灯りが灯されて繁華街の中にあって一際目立つ存在となります。
奈良県郡山市にある矢田寺(矢田山金剛山寺)の元別院で、現在は西山浄土宗に所属。
寺伝によると、平安初期の845年(承輪12年)に大和国(奈良県)の矢田寺(矢田山金剛山寺)の住持であった満慶(まんけい)(満米)が、その別院として五条坊門(壬生のあたり)に創建。
矢田寺(矢田山金剛山寺)は679年(天武天皇8年)、天武天皇の勅願所として奈良大和郡山市に建立された高野山真言宗の寺院で、「あじさいの寺」として有名です。
本堂の本尊・地蔵菩薩立像(矢田地蔵)は地獄の火焔の中に立つ高さ2mの立像。
開山の(満慶(まんけい))がこの世とあの世を行き来し閻魔大王の補佐としても活躍したという伝説を持つ小野篁(おののたかむら 802-53)の招きで地獄を訪れた際、炎に包まれ煮えたぎる鉄釜の中で罪人を救っている生身の地蔵の姿を見て感動。
その姿を現世で仏像として彫刻して祀ったものと伝わり、人々の苦しみを代わりに引き受けてくれることから「代受苦地蔵(だいじゅくじぞう)」として人々の信仰を集めています。
ちなみにこのエピソードを描いた室町時代の紙本著色「矢田地蔵縁起絵巻(全2巻)」が国の重要文化財に指定され、京都国立博物館に寄託されているほか、救い絵馬(地獄絵馬)の授与も行われていて、境内の絵馬掛けには奉納された絵馬がびっしりと掛けられています。
創建の後は寺地を転々とし、1579年(天正7年)に現在地に落ち着いたといい、現在はお盆の時期に撞かれる「送り鐘」と、年末の冬至の日に行われる「かぼちゃ供養」の行事などでよく知られています。
「送り鐘」は本堂にかかる梵鐘で、お盆の時期の8月16日に自由に撞くことができ、六道珍皇寺の「迎え鐘」が先祖の霊を迎えるのに対し、お盆の終了とともに死者の霊が迷わないように冥土へと送り返すものです。
信仰心の篤い京都の人々は六道珍皇寺の「六道まいり」で「迎え鐘」を撞いて先祖のご精霊を迎えた後、矢田地蔵尊で「送り鐘」を撞き、夜は「大文字の送り火」でご精霊をお送りします。
また「かぼちゃ供養」は年の瀬も迫る12月23日の冬至の日に行われるる行事で、そもそもかぼちゃの食物繊維は血流をよくしてくれることで知られており、昔から冬至の日に食べると、中風除けや諸病退散になるといわれていましたが、矢田寺では「忙中閑あり」、すなわち「師走のせわしない時期にこそ、かぼちゃを食べて心を落ち着けてもらいたい」という住職の思いから約30年ほど前からはじめられ、近年はメディア等でも紹介され年末の京都の風物詩となっています。
当日は法要が行われた後、数量限定で柔らかく煮た栗かぼちゃが無料で振る舞われますが、それより前の12月の始めから23日までの期間、撫でるとご利益がある大きな「撫でかぼちゃ」が境内に安置されます。
その他にも境内には水子地蔵、大日如来、石仏地蔵などもあって気軽に参拝できるほか、住職夫婦の手づくりだという珍しいフェルト製の「ぬいぐるみ地蔵」は良縁成就・安産祈願・無病息災などのご利益があり、その可愛らしい姿から女性を中心に人気を集めています。