京都市中京区烏丸二条西入る東玉屋町、烏丸二条を西へやや進んだ先、二条通の薬問屋が並ぶ一角にあるレトロな建物の二条薬業会館に隣接するように鎮座する薬にまつわる神々を祀る神祠。
祭神として日本、中国、ギリシャと3か国の神様が合祀されているという珍しい神社です。
・日本の「大巳貴命(おおなむちのみこと)=大国主命(おおくにぬしのみこと))」および「小彦名命(すくなひこなのみこと)」
・中国の医薬と農業を司る神「神農(しんのう)」
・ギリシャの哲学者で西洋医学の父とされる「ヒポクラテス」
二条一帯は、豊臣秀吉による京都市街地の地区改正と、江戸初期の二条城造営により、各種の業者が集まった同業者町が生まれました。
そして江戸時代のわらべ歌に
「一条の戻り橋、二条のきぐすり、三条のみすや針、四条の芝居、五条の橋弁慶、六条の本願寺、七条のおいも堀り、八条のたけのこ堀り、九条のおねぎ、十条の羅生門」
とあるように、
特に二条通には薬業者が集まる同業者町が誕生し、江戸初期には薬種業者の組合が結成され、江戸時代の二条通は多くの薬問屋が立ち並ぶ薬の町として知られました。
その後、江戸後期の1858年(安政5年)に「薬師講」ができると商売繁盛を願って町内に中国の薬神「神農(しんのう)」を祀ることが町衆の間で決まり、薬師如来、住吉大明神とともに祀ったのがはじまりで、「二条の神農さん」と呼ばれて親しまれ、11月には「薬祖神祭」が行われ、夜店も並び京都の年中行事の一つに数えられるほど盛大に行われたといいます。
幕末1864年(元治元年)の「蛤御門の変」で二条の薬業街が焼失した際にも祭り自体は毎年行われたといいますが、明治維新後の「廃仏毀釈」の影響を受けて一時中断するも、祭神に国造りの神として有名な大国主命の別名である大巳貴命(おおなむちのみこと)と、大国主命とともに国造りに参加し医薬の神様として知られる小彦名命(すくなひこなのみこと)を加えて復興され、更に1880年(明治13年)には西洋医学が浸透し欧米から薬を輸入するようになった時代の流れを受けて西洋の医学神・ヒポクラテスが加わり、1906年(明治39年)に現在地に移されて今に至っています。
以前は50を超えたという二条通の薬問屋や薬に関連した企業は、近年は大手企業に吸収合併されて数は減少していますが、現在も往時を偲ばせるように東洞院通から衣棚通までにかけて10軒ほどの薬問屋や漢方などの薬品を扱う店が並び、薬祖神祠も医療や医薬品事業者から変わらず信仰を集めています。
また江戸後期から続く「薬祖神祭」も以前ほど盛大ではないものの毎年11月の第1金曜日に神事が執り行われるとともに神楽が奉納され、また参拝者にはえびす神社の「十日ゑびす」さながらに無病息災を祈願した薬効のある笹の葉の授与が行われます。