京都市下京区寺町通四条下る貞安則之町、四条河原町近くにある神社。
伊勢神宮と同じ天照皇大神と豊受大神が祀られ「京都のお伊勢さん」として親しまれている神社です。
明治維新の後、江戸末期より盛んであった「お伊勢参り」の増加に伴い、これが叶わない人々のために全国都道府県に伊勢神宮が遥拝でき、また伊勢神宮大麻の頒布などを行う施設の整備の必要性が高まりました。
このため京都においても神宮奉斎会京都地方本部として、伊勢神宮の布教機関たる神宮教の京都教会所が創建されることとなり、1873年(明治6年)7月、伊勢の内宮・外宮より分霊を勧請し、諾冊二神、八柱大神、大地主神、倭比売命を配祀したのがはじまりとされています。
そして翌々年の1875年(明治8年)に社殿が建立され、1881年(明治14年)には神宮遥拝所も創建。
明治時代より明治天皇の皇女や親王殿下、時の大臣など多くの参拝があり、神風講社の結成は101社に及んだといいます。
1906年(明治39年)には精華学園を創立し、戦後に「京都大神宮」と改称されて精華学園が独立し現在に至っています。
本殿は一条家の玄関及び書院を移築したもので、日本有数の唐破風を持つ豪華で優美な建築。
そして手水舎(てみずや)の水盤は、伏見城にあったものを寄進、移築されたと伝わっています。
また同神社は現在の「神前結婚式」の様式を初めて考案し、普及につながったことで知られています。
「神前結婚」は、1900年(明治33年)の当時の皇太子(後の大正天皇)と九条節子(後の貞明皇后)のご成婚の際、宮中において初めて皇居内の賢所で行われた慶事を受けて多くの国民から神前結婚への要請が上がったことから、東京大神宮と当神社にて祭式を吟味、完成させ、挙行したのが現在のものに繋がっているといわれています。
更に近年は可愛らしい巫女さんのアニメ風のイラストの描かれたお守りや御朱印帳、キーホルダーなどを授与しており、ネットで注目を集めているほか、漫画やアニメなどを愛好する人が数多く参拝するようになっています。