「イオン株式会社(AEON Co., Ltd.)」は幕張新都心の千葉県千葉市美浜区中瀬に本社を置く、日本国内外300を超える企業で構成される大手流通グループ「イオングループ」を統括する持株会社であり新興財閥。
そもそもイオンの前身は「ジャスコ」といい、江戸中期の1758年(宝暦8年)に岡田惣左衛門が三重県四日市久六町の地で創業した太物・小間物商「岡田屋(創業当時は「篠原屋」)」に加え、1937年(昭和12年)、二木一一が兵庫県姫路市に創業した「フタギ洋品店」(のち1949年に「フタギ株式会社」として法人化)、および1955年(昭和30年)に服地の小売からスタートし井上次郎が創業した「シロ」を起源として誕生しました。
このうち「岡田屋」は、江戸中期の1758年(宝暦8年)に岡田惣左衛門が太物・小間物商「篠原屋」として現在の三重県四日市市にて創業したのがはじまりで、1887年(明治20年)には創業の地を離れ、新しい繁華街に店舗を移転し「岡田屋」と改称しています。
当時は交渉による価格決定が主流の中で「すべてのお客さまに平等に」という信念から正札販売を開始したほか、「見競(みくらべ)勘定」という複式簿記や、従業員の昇進条件などを記載した店規則の導入など、時代に先駆けた改革を行い、1926年(大正15年)9月21日には「株式会社岡田屋呉服店」として法人化。
その後第二次世界大戦に際して店舗を焼失しますが、終戦翌年の1946年(昭和21年)3月には営業を再開し、7月には大売出しを実施するなど、素早い復興を遂げています。
1968年(昭和43年)5月、現在のイオンの礎を築いた岡田家7代目当主・岡田卓也(おかだやくや 1925- )の時代に「小売業の近代化」を目指して三重県を中心に店舗展開する岡田屋呉服店と、兵庫県を地盤とするフタギとが業務提携を発表。
後に大阪府のシロも参入し、1969年(昭和44年)2月21日、岡田屋・フタギ・シロの共同出資により「ジャスコ株式会社」が設立されます。
この点、新たな社名の「ジャスコ」は「Japan United Stores Company」の頭文字をとったもので、社内公募により決定し命名されたものでした。
ジャスコの設立からほどなく、車社会の到来を先取りし本格的なショッピングセンターの開発に着手することとなり、1969年(昭和44年)3月に三菱商事との共同出資により日本初の商業専業のディベロッパーである「株式会社ダイヤモンドシティ」を設立。
1号店となったのは1970年(昭和45年)に西日本最大級のショッピングセンターとして大阪市東住吉区(現在は分区して平野区に位置)にオープンした「東住吉ショッピングセンター」でした。
日本のショッピングセンターの草分け的存在であった同店は、周辺に大規模ショッピングセンターが開業したことに伴って2004年(平成16年)に惜しまれつついったんは閉店しましたが、翌2005年(平成17年)に「ジャスコ喜連瓜破駅前店」として再オープンし、現在も「イオン喜連瓜破ショッピングセンター」として営業を続けています。
1974年(昭和49年)9月に東京・大阪・名古屋の3つの証券取引所の第2部へ株式上場を果たすと、その2年後の1976年(昭和51年)には東京都千代田区神田錦町に東京本社を設立するとともに東京と大阪の2本社制を敷いて全国展開を進めていきます。
更に海外にも進出し1985年(昭和60年)にはマレーシアに海外1号店となる「ジャヤ・ジャスコストアーズ ダヤブミ店」がオープンし、その後も積極的に海外展開が進められていきました。
1989年(平成元年)9月に「ジャスコグループ」から「イオングループ」に名称を変更した後、2001年(平成13年)8月21日には社名も「ジャスコ株式会社」から「イオン株式会社」へと変更され、それを機にイオンの基本理念を具現化するための行動指針である「イオン宣言」も策定され、更に2008年(平成20年)にイオン株式会社は純粋持株会社に移行し現在に至っています。
展開する事業としてはGMS(総合スーパー)事業、コンビニのミニストップ、スーパーのマックスバリューやダイエーなどのSM(スーパーマーケット)事業、DS(ディスカウントストア)事業、ヘルス&ウエルネス事業、イオンクレジット、イオン保険などの総合金融事業、そして後述する旧イオン興産が展開・管理するショッピングセンター「イオンモール」などのディベロッパー事業などがあります。
「イオンモール(AEON MALL)」は、イオングループの一員であるイオンモール株式会社が運営する「モール型ショッピングセンター」および「大型ショッピングセンター」のブランド名。
イオンモール株式会社は千葉県千葉市に本社を置き、主にイオングループの大型ショッピングセンターの開発から運営、その他には不動産の売買、賃貸、仲介などを行っている会社。
その歴史は古く、1911年(明治44年)11月12日にイオンモールの前身となる生糸商「岐阜繭糸株式会社」として創業されたのがはじまり。
その後1970年(昭和45年)5月にジャスコに買収されてその一員となると、1973年(昭和48年)4月には「ジャスコ不動産株式会社」に商号変更。
更に同年8月には「やまとや株式会社」「岡惣不動産株式会社」を吸収合併する形で「ジャスコ興産株式会社」に商号変更し、その後様々な会社を合併して事業規模を拡大していきます。
そして1989年(平成元年)10月には「イオン興産株式会社」に商号を改めるとともに、新たに大型商業施設を運営するショッピングセンター事業へと進出。
これが現在のイオンモールへとつながることとなり、1992年(平成4年)11月28日にはイオンモール(旧イオン興産)の第1号店となる青森県西津軽郡柏村(現在のつがる市)に「イオンモールつがる柏」を開店。
2001年(平成13年)6月21日、イオン興産株式会社から「イオンモール株式会社」に商号変更した後、2007年(平成19年)8月21日には「株式会社ダイヤモンドシティ」を吸収合併するとともに、9月には施設名称は「イオンモール」に統一。
2011年(平成23年)3月1日には傘下のサティ、ジャスコ、ポスフールも全て「イオン」に変更されることとなり、現在に至っています。
現在は日本のみならずベトナム、インドネシア、マレーシア、カンボジアにも出店し、運営施設は2016年12月の時点で160を超え、今も増え続けています。
ショッピングモールは旧ジャスコやサティも含めたイオンなどの総合スーパーを核店舗とし、サブ核として家電、スポーツ等の大型専門店や百貨店などが配置され、2つを結ぶように100店以上の専門店モールが展開されるリージョナル型(広域商圏型)のモール型ショッピングセンターであることが大きな特徴ですが、近年ではイオンスタイルなど様々な形態でも運営されています。
「イオンモールKYOTO」は京都駅の南側の八条口のすぐ南、京都市南区西九条鳥居口町および西洞院通を挟んだ西九条院町に店舗を構える大型ショッピングモール。
当モールは2006年(平成18年)に京都駅南開発計画として複合型商業施設の建設が発表されて以来、元々は「ヴィノワ (VINOWA) 」の名称で開発が行われていましたが、2009年(平成21年)5月に開発を行っていた株式会社ジョイント・コーポレーションが会社更生法の適用を受けたことにより事業から撤退。
いったんは事業の継続が困難となりますが、建設を請け負っていた清水建設が土地と建物を新たに所有することとなると、同年11月9日に清水建設からの依頼を受けたイオンモール株式会社がプロパティマネジメント(PM)事業を受託することが決まり、2010年(平成22年)6月4日に無事グランドオープンを果たします。
2013年(平成25年)には清水建設が所有していた土地・建物をイオンモールが取得、それまでのPM受託からイオンモールによる直営となり、その後2016年(平成28年)に全館リニューアルされ現在に至っています。
敷地面積は約30,100平方メートル、延床面積は約148,300平方メートル、そして総賃貸面積は約50,000平方メートルもある京都市内でも有数の巨大なモールで、西洞院通を挟んで地上7階の「Sakura館」と地上6階の「Kaede館」の2棟で構成、両棟の2階と3階に連絡通路として「Miyako橋」が架けられているのが大きな特徴です。
スーパーマーケットKOHYOに加えてイオンモール専門店街、レストラン街やフードコートなどを備えるほか、映画館「T・ジョイ京都」があるのも大きな特徴の一つです。
周辺に数多くの宿泊施設が立ち並ぶ京都駅の南に隣接することから観光客の利用も多く、観光客向けに数多くのイベントも開催され、多くの人々で賑わっています。