京都市下京区高倉通五条上ル亀屋町、「高倉五条」の交差点より高倉通を上った西側にある佃煮・漬物の店。
元々は江戸初期の4代将軍・徳川家綱の時代、1652年(慶安5年)に初代・河内屋長兵衛が京都にて縮緬鹿の子商として創業したのがはじまりで、以来、代々呉服屋として商いを続け、大正初年頃には東京や大阪にも店舗を構えていたといいますが、14代目の時に徹底した堅実経営体制のため企業規模を縮小するとともに、現在の高倉五条に移転し事業を継続することとなります。
その後、平成に入った16代目の時に当主の父親の勧めもあり、長兵衛家の女将に代々伝わる秘伝の佃煮の味をもとに呉服関係者はもとより一般の客にも喜ばれるおもたせ(手土産)になるような商品の開発に傾注することとなり、1994年(平成6年)11月、京佃煮・京漬物の製造販売業を開始するとともに、屋号を高倉五条の地名にちなんで「五條長兵衛」と変更。
呉服屋として代々の付き合いのある得意先にも支持を得られるようにと、厳選した旬の素材を全国から取り寄せ、細かい仕事に至るまで手間ひまを惜しまず全て手作業で行い、細部に至るまで気遣いをすることを心がけて佃煮や漬物づくりに取り組んています。
そして看板商品である「ほたるこ」と呼ばれる佃煮は、通常は佃煮といえば昆布を使うことが多い中でわかめの茎を使用して作られているのが大きな特徴で、細かく刻んだわかめの茎に丹波産の山椒と日向灘沖で採れたちりめんじゃこを加えてじっくりと炊き上げたもので、自然の風味を活かし甘辛く炊いた素朴な佃煮で、しっかりと味のしみ込んだコリコリっとした歯応えのあるわかめに山椒がよく利いており、ご飯のお供にはもちろん酒の肴にもよく合う一品です。
佃煮の中にちらちらと見える緑色の山椒の粒が、まるで夏の夜空を舞う蛍(ほたる)を思わせることからその名が付けられたといい、手提げ袋などに使用されている水墨画は斎藤南北氏、また商品の推薦文は先代から深い親交があるという京舞井上流の家元で人間国宝の五世・井上八千代氏によるものです。
京都でも有数の老舗であり、2000年(平成12年)には京都の夏の風物詩で京都三大祭の一つである「祇園祭」にて、現当主の長男が祭のシンボル的存在である長刀鉾の稚児に選ばれ、大変な話題となりました。