京都市下京区間之町通り花屋町下る天神町、京都駅からほど近い東本願寺のやや東側、渉成園(枳殻邸)の北西付近に鎮座する神社。
社名のとおり祭神は菅原道真で、相殿には道真の乳母・文子比売(あやこひめ)、道真の母・伴氏(ともうじ)、そして道真の父・是善(これよし)が祀られ、学問のみならず良縁、安産、家内安全をはじめ、交通安全、厄除など様々なご神徳がある神社です。
社伝によると、福岡県の大宰府(だざいふ)に左遷された道真が、903年(延喜3年)に59歳で没した後、道真の乳母であった多治比文子(たじひのあやこ)は、「われを右近の馬場に祀れ」との道真の託宣を受けたといいます。
しかし文子は貧しかったため社殿を建立することができず、右京七条二坊の自宅の庭に小祠を建てて道真を祀ったといわれていて、これが文子天満宮のはじまりであり、「北野天満宮の前身」といわれる所以です。
その後942年(天慶5年)に道真より「すでに天神の号を得たので鎮国の思いがある。世にあるとき、しばし遊んだ右近の馬場(今の北野天満宮)に祀られることを望む」とお告げがありました。
さらに近江比良宮祢宜・良種の子太郎丸にも同様の託宣が下り、947年6月9日、文子は朝日寺の僧・最鎮、法儀、鎮世などと力を合わせて「われを右近の馬場に祀れ」との託宣のとおり、道真の御霊を北野の地に移して崇め祀り、これにより北野天満宮が創建されることとなったのです。
このように文子天満宮は菅原道真を天神様として日本で一番最初に信仰の対象として祀ったことから、「天神信仰発祥の神社」とされ、「北野天満宮の前身神社」といわれています。
その後、天明、安政、元治の大火で類焼したが、その都度再建され、明治期には村社に列せられています。
現在の社殿は、1918年(大正7年)に造営されたもので、2002年(平成14年)には菅原道真没後1100年の記念事業の一環で、本殿の銅葺屋根の葺き替えも行われています。
祭神として菅原道真を祀り「洛陽天満宮二十五社」の一つにも数えられているほか、「京洛八社集印めぐり」の一社にもなっています。