函谷鉾
函谷鉾とは?(基本データ)
- 名前
- 函谷鉾(かんこぼこ)
- エリア
- 三条寺町・四条河原町
- ジャンル
-
- 歴史
- 1788年(天明8年)の「天明の大火」で焼失
1839年(天保10年)に復興、この際に他の鉾に先駆けて稚児人形を採用
- 種類
- 鉾(ほこ)
- 真木・稚児
- 三日月と山型
稚児人形・嘉多丸(かたまる)(左大臣・一条忠香の子・実良がモデル)
- ご利益
- 厄除け・疫病除け
- 山鉾建て
- 7/10 7:00~
- 曳き初め
- 7/12 14:00~
- 会所公開
- 7/13 9:30~
- 授与品
- 厄除け粽(鉾拝観券付は中に古代米入り)、うちわ、鉾観覧券のみ手ぬぐい(数種)、扇子など
- 巡行順
- 前祭5番目(くじ取らず)
- 懸想品
- [前懸]
「旧約聖書」の「創世紀」の場面を描いた16世紀末のベルギー製毛綴(タペストリー)で重文指定(2006年(平成18年)に復元新調)
[胴懸]
梅に虎を織り出した17世紀李氏朝鮮時代の絨毯「虎に梅樹図」
花文様インド絨毯
中国絨毯「玉取獅子図」
[見送]
皆川泰蔵作「エジプト天空図」
弘法大師筆と伝える紺地金泥の「金剛界礼懺文」を天保年間(1830~43)に模織したもの(古)
- 紋章
-
- アクセス
-
- 駅からJR 線「 」駅下車 徒歩約 分
- から京阪電鉄「 」駅下車 徒歩約 分
- 駅から京都市営バス「 」( 号系統)下車
- 名神高速道路「 IC」より約 分
- 住所
- ■公益財団法人函谷鉾保存会
〒600-8009
京都府京都市下京区四条通室町東入函谷鉾町89 函谷鉾ビル
- 公式サイト
- 函谷鉾 京都祇園祭
函谷鉾の地図
函谷鉾のみどころ (Point in Check)
鉾の名は中国の戦国時代(前403~221)、秦に幽閉された斉の孟嘗君(もうしょうくん)が鶏の鳴き声によって門が開き函谷関(かんこくかん)を無事脱出できたという故事、「史記」の「鶏鳴狗盗(けいめいくとう)」にちなんでいるといいます。
鉾頭には三日月と山型、真木の中ほどの「天王座」には孟嘗君とその下に雌雄の鶏が添えられていて、合わせて深夜に山中の関を孟嘗君が通り抜けた様子が再現されています。
江戸後期1788年(天明8年)の「天明の大火」焼失するも、約50年後の1839年(天保10年)には再興。
この際に用いられるようになった「嘉多丸(かたまる)」という稚児人形は、後の明治天皇皇后の兄・一条実良(いちじょうさねよし 1835-68)の幼少期がモデルになっているといいます。
懸想品も豪華で世界中から集められた優れたものが多く、中でも前懸は旧約聖書の創世記の場面を描いた16世紀のベルギー製毛綴(タペストリー)で国の重要文化財にも指定されています。
函谷鉾の主な行事・カレンダー
-
-
-
函谷鉾のレポート・旅行記
函谷鉾の口コミ
- β版公開:2017/07/14(Fri)
- 登録日時:2017/07/14(Fri)
- 最終更新:2017/07/20(Thu)
函谷鉾とは?(基本データ)
- 名前
- 函谷鉾(かんこぼこ)
- エリア
- 三条寺町・四条河原町
- ジャンル
- 歴史
- 1788年(天明8年)の「天明の大火」で焼失
1839年(天保10年)に復興、この際に他の鉾に先駆けて稚児人形を採用 - 種類
- 鉾(ほこ)
- 真木・稚児
- 三日月と山型
稚児人形・嘉多丸(かたまる)(左大臣・一条忠香の子・実良がモデル) - ご利益
- 厄除け・疫病除け
- 山鉾建て
- 7/10 7:00~
- 曳き初め
- 7/12 14:00~
- 会所公開
- 7/13 9:30~
- 授与品
- 厄除け粽(鉾拝観券付は中に古代米入り)、うちわ、鉾観覧券のみ手ぬぐい(数種)、扇子など
- 巡行順
- 前祭5番目(くじ取らず)
- 懸想品
- [前懸]
「旧約聖書」の「創世紀」の場面を描いた16世紀末のベルギー製毛綴(タペストリー)で重文指定(2006年(平成18年)に復元新調)
[胴懸]
梅に虎を織り出した17世紀李氏朝鮮時代の絨毯「虎に梅樹図」
花文様インド絨毯
中国絨毯「玉取獅子図」
[見送]
皆川泰蔵作「エジプト天空図」
弘法大師筆と伝える紺地金泥の「金剛界礼懺文」を天保年間(1830~43)に模織したもの(古) - 紋章
- アクセス
-
- 駅からJR 線「 」駅下車 徒歩約 分
- から京阪電鉄「 」駅下車 徒歩約 分
- 駅から京都市営バス「 」( 号系統)下車
- 名神高速道路「 IC」より約 分
- 住所
- ■公益財団法人函谷鉾保存会
〒600-8009
京都府京都市下京区四条通室町東入函谷鉾町89 函谷鉾ビル - 公式サイト
- 函谷鉾 京都祇園祭
函谷鉾の地図
函谷鉾のみどころ (Point in Check)
鉾の名は中国の戦国時代(前403~221)、秦に幽閉された斉の孟嘗君(もうしょうくん)が鶏の鳴き声によって門が開き函谷関(かんこくかん)を無事脱出できたという故事、「史記」の「鶏鳴狗盗(けいめいくとう)」にちなんでいるといいます。
鉾頭には三日月と山型、真木の中ほどの「天王座」には孟嘗君とその下に雌雄の鶏が添えられていて、合わせて深夜に山中の関を孟嘗君が通り抜けた様子が再現されています。
江戸後期1788年(天明8年)の「天明の大火」焼失するも、約50年後の1839年(天保10年)には再興。
この際に用いられるようになった「嘉多丸(かたまる)」という稚児人形は、後の明治天皇皇后の兄・一条実良(いちじょうさねよし 1835-68)の幼少期がモデルになっているといいます。
懸想品も豪華で世界中から集められた優れたものが多く、中でも前懸は旧約聖書の創世記の場面を描いた16世紀のベルギー製毛綴(タペストリー)で国の重要文化財にも指定されています。