福知山城
築城当時の石垣が残る明智光秀築城の福知山のシンボル
市東部の小丘陵に位置し戦国時代に丹波を平定した明智光秀が築いたとされる平山城。 天守閣は昭和期の復元だが石垣は築城当時のものが残り景観の美しさで日本の歴史公園100選にも選定。 夏には明智家の家紋に描かれ福知山の花として愛されている桔梗が咲きお盆には福知山ドッコイセまつりも開催される
福知山城とは?(基本データ)
- 名前
- 福知山城(ふくちやまじょう)
- エリア
- 福知山
- ジャンル
- 建立・設立
- 元は小笠原長清の末裔とされる塩見頼勝が室町後期に「横山城」として築城し近隣を支配していた
1579年(天正7年)、横山信房を討ち丹波を平定した明智光秀が近世城郭として大規模な修築を行い「福智山城」と改める
1582年(天正10年)、本能寺の変の後の山崎の戦いで光秀が羽柴秀吉に討たれると秀吉方の城となる
1600年(慶長5年)、関ヶ原の戦いで東軍の徳川方が勝利すると有馬豊氏が6万石の福智山藩主として入城し城を修築
1669年(寛文9年)、朽木稙昌が3万2千石で入封し「福知山城」と改名、明治まで続く
1873年(明治6年)、廃藩後の廃城令によって取り壊され、石垣と二の丸から本丸に移築された銅門が残るのみに
1986年(昭和61年)11月9日、市民の瓦1枚運動などの熱意により三層四階の天守閣が復元、内部は福知山の歴史を紹介する郷土資料館に - 創始者
- [築城] 明智光秀
[復元設計] 藤岡通夫(東京工業大学名誉教授) - 形式
- [城郭]
平山城
[復興天守]
鉄筋コンクリート造3層4階建(大天守)・2層2階建(小天守)
延床面積 1063平方メートル
総高20.2m - 札所等
- 福知山十景(福知山城と福知山踊り)
- アクセス
- 駐車場
- 福知山城公園観光駐車場(普通車70台・大型バス1台)
└無料 - 拝観料
- ■一般券
├大人 330円
└小中学生 110円
■共通券(福知山市佐藤太清記念美術館の入場料との共通券)
├大人 490円
└小中学生 190円
※障がい者(要障がい者手帳)およびその介護者1名は入館料半額
※団体(30名以上)は割引有り - お休み
- 毎週火曜(祝日の場合は翌水曜日)
年末年始(12/28~12/31および1/4~1/6) - 拝観時間
- 9:00~17:00(受付16:30まで)
■桜のライトアップ(4月上~中旬)
└17:30~21:30 - 住所
- 〒620-0035
京都府福知山市内記5 - 電話
- 0773-23-9564(福知山城天守閣)
0773-23-2316(佐藤太清記念美術館) - FAX
- 0773-23-9564(福知山城天守閣)
- 公式サイト
- 福知山城
福知山城【公式】明智光秀が築いた城 Twitter
明智光秀がつくった福知山 Facebook
福知山城【公式】 Instagram
福知山城天守閣 福知山市
城下町 福知山市
福知山十景 福知山観光協会
福知山花の十景 福知山観光協会
福知山城の地図
福知山城のみどころ (Point in Check)
京都府福知山市内記、福知山盆地の真ん中、JR・丹鉄の福知山駅から東へ徒歩約15分の所にある日本の城跡および城跡に整備された史跡公園。
戦国武将・明智光秀(あけちみつひで 1528?-82)が築城したことで知られ、築城当時の石垣が残り、その上に復興天守も建てられ福知山のシンボルとして親しまれています。
福知山市東部の小丘陵に位置し、元々は源頼朝の挙兵に加わり、源義仲討伐、奥州藤原氏征討、承久の乱などで功績を挙げ、弓馬術礼法小笠原流の祖として知られる小笠原長清(おがさわらながきよ 1162-1242)の末裔とされる塩見頼勝(しおみよりかつ)が室町後期に「横山城」として築城し近隣を支配していました。
戦国時代、畿内を押さえた織田信長は豊臣秀吉と明智光秀に中国攻めを命じ、秀吉は山陽道から進軍したのに対して、明智光秀は山陰道側より進軍することとなり、1579年(天正7年)、横山城の横山信房を討ちまず丹波国の平定を果たします。
そして主君・織田信長から丹波の地を与えられると、近世城郭として横山城の大規模な修築を行い「福智山城」と改め、斎藤利三とともに光秀の重臣の一人で女婿ともいわれる明智秀満(あけちひでみつ 1536-82)が城代に任命されています。
しかし1582年(天正10年)、「本能寺の変」の後の「山崎の戦い」で光秀が羽柴秀吉(はじばひでよし 1537-98)に討たれると秀吉方の城となり、羽柴秀勝の配下から青山氏、桑山氏を経て小野木重勝(おのぎしげかつ 1563-1600)が3万石で城主となりますが、1600年(慶長5年)の「関ヶ原の戦い」で東軍の徳川方が勝利すると西軍に与した重勝は切腹。
戦後に東軍に属した遠江国横須賀の大名・有馬豊氏(ありまとようじ 1569-1642)が6万石の福智山藩主として入城。直後に亡くなった父親の遺領2万石を継承して8万石の大名となり、初代藩主として城を修復して完成させるとともに城下町を整備するなど、福知山の町の基礎を築きました。
その後、豊氏は「大阪の陣」での功績が認められて1620年(元和6年)に筑後国久留米に21万石を与えられて転封となると、岡部・稲葉・松平と城主の交替が繰り返されますが、1669年(寛文9年)に常陸国土浦藩の朽木稙昌(くつきたねまさ 1643-1714)が3万2千石で入封し「福知山城」と改名すると、以後は藩政が安定し朽木氏の支配が明治まで、稙昌を含めて14代続くこととなります。
しかし時代は明治時代となり、明治維新後の1871年(明治4年)に「廃藩置県」で福知山藩が廃藩となると、これに続く1873年(明治6年)の「廃城令」によって二の丸御殿などほとんどの建物は解体され、本丸以外の城域は廃城後に開発が進められた結果、そのほとんどが失われてしまい、本丸にわずかに残された石垣と二の丸から本丸に移築された銅門番所(あかがねもんばんしょ)が残るのみとなってしまいます。
もっとも市民の間では福知山城復元にかける思いは熱く、昭和期に入るとその機運が一層高まり、市民の瓦一枚運動などで寄付を募るなどし、1986年(昭和61年)11月、多くの人々の熱意が実り天守閣が復元されることとなります。
松平氏時代の絵図、平面図をもとに、城郭研究の権威で東京工業大学名誉教授であった工学博士・藤岡通夫が復元設計し、3年の歳月をかけて3層4階の大天守と2層2階の小天守、そして間をつなぐ続櫓を再建。
鉄筋コンクリート製ですが外観は忠実に復元されており、大天守の二重櫓に入母屋の大屋根をかけ更にその上に小望楼を乗せた姿は近世初期の望楼型の天守閣の特徴をよく表しているといいます。
この点、この復元した天守は昭和期のものですが、本丸部分の「石垣」は築城当時のものが残っており、「福知山城」の遺構に見られる大きな特徴としてよく紹介されます。
近江国の琵琶湖西岸を拠点とした穴太衆が得意としたことから「穴太積み(あのうづみ)」ともいわれた、自然石を加工せずそのまま用いる野面積みと呼ばれる石の積み方で、一見豪快かつ乱雑に見えますが パズルを解くように緻密な計算で組み合わせ強固な石垣がが構築されています。
そして注意して見てみると、たくさんの墓石や石仏、五輪塔や宝篋印塔などが石材の代用として使用されているのが分かりますが、これらの石は「転用石」といい、石材を素早く確保することで城の完成までの工期を短縮するため、あるいは旧勢力の力を否定し権力を誇示するためなど、様々な理由があるといいますが、合理性を重んじた織田信長やその家臣の城ではよく見られるもので、安土城や二条城などにも見られるといいますが、数の多さでは大和郡山城と並んで群を抜いているといいます。
これらの石垣を含めた城の遺構は1965年(昭和40年)10月14日に福知山市の史跡に指定されていて、現在は「福知山城公園」として整備されていて、市民の憩いの場となっています。
また天守の内部は「福知山城天守閣」として城に関する資料や福知山の歴史や文化財を紹介・展示する郷土資料館として公開されており、望楼からは福知山市内を一望することができます。
この点、福知山城は盆地の真ん中にある小高い丘の上に建っていることからその眺めは見事なもので、また高い場所にある「福知山城」は市街地の離れた場所からもその姿を見ることができ、市のシンボル的存在となっていて、その景観の美しさから「日本の歴史公園100選」、また2017年(平成29年)には「続日本100名城(158番)」にも選定されています。
明智光秀の福知山の統治はわずか3年間でしたが、税金の免除や由良川の治水工事を行うなど福知山の基礎を築くとともに善政を敷いたことから地元では現在も名君として大変親しまれており、城の北西にある御霊神社では光秀を祭神として祀られ、またお盆の時期には光秀が福知山城を築いた際に人夫が石材や木材を運ぶ時に「ドッコイセ」「ドッコイセ」と手振り、足振り面白く唄りながら作業を行ったのがはじまりと伝えられる「福知山音頭」をメインイベントとする「福知山ドッコイセまつり」が開催され、光秀の功績を偲ぶことができます。
この他にも春は桜の名所としても有名で、例年4月上旬にはソメイヨシノが城内のあちらこちらで花を咲かせ、天守閣を美しく引き立てます。
福知山城の施設案内
城西側(JR福知山駅~お城通り~内榎原門・樽水口・伯耆丸・二の丸跡)
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福知山観光案内所
北口にある
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福知山駅北口公園
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駅前交差点
けやき通りとお城通りの交差点
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お城通り
東へ進む
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「内榎原門跡(うちえばらもんあと)」の説明版
内榎原門は丸の内と呼ばれた城郭域への西側出入口として、主に武家屋敷からの通行に利用されたという
現在の市役所駐車場の北西のT字路の南東角に説明版が設置されている
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「樽水口跡」の説明板
丘の上に配置された足軽屋敷と城郭内の武家屋敷である稲荷町・上十六軒町の間に設けられたという 内記稲荷神社のすぐ北に説明版が設置されている
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内記稲荷神社
福知山市役所の南西、樽水口のそばに鎮座
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福知山市役所
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伯耆丸公園
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「伯耆丸跡」の説明版
本丸・二の丸へと続く細長い丘陵を切り通しで独立させて設けられた曲輪
福知山藩の初代藩主・有馬豊氏の重臣であった有馬伯耆守の屋敷が置かれていたといい、当時は本丸へ行くための橋が架かっていたという
現在は伯耆丸公園として整備されている
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伯耆丸公園からの復元天守の眺望
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京都地方裁判所福知山支部
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内記一丁目交差点
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二の丸跡
本丸と伯耆丸の間で一段低くなった場所がこれにあたるという
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「御泉水跡(ごせんすい)」の説明版
城域の南側に位置し御泉水と呼ばれる庭園があったという
踊せんべいの千切屋の前に説明版が設置されている
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「清水口門跡」の説明版
惣構えの堀の名残りという
京都北都信用金庫の岡ノ町支店の南東の駐車場に説明版が設置されている
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福知山市丹波生活衣館
昭和期に普段に着られていた着物を展示するほか、機織り体験もできるという
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城東側(駐車場・ゆらのガーデン)
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内記歩道橋の高架と分岐
お城通りを東へ進んだ先の本丸の北東角にあたる場所
道路の上に歩道橋が架かり、角には佐藤太清記念美術館がある
この分岐のすぐ南に福知山城への入口があり、福知山駅から徒歩で城へと向かった場合は昇龍橋を通らずにここから直接天守の方に行くこともできる
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法川(ほおかわ)
城の東側には河川を利用した巨大な堀があったといいその名残という川
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福知山城公園入口
お城通りを東へ進み、法川を渡ってすぐのT字路の南西角
すぐ南に昇龍橋が架かり、橋を渡って天守の方へと向かう
法川の東岸は駐車場やゆらのガーデンの方まで遊歩道となっている
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福知山城公園前バス停
城の北東側、お城通り沿いにある、バスを降りてすぐの所に昇龍橋
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福知山城公園駐車場
城の東側にある
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ゆらのガーデン入口門
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ゆらのガーデン 公衆トイレ
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ゆらのガーデン
城の東側、福知山城公園前にあるレストラン街で、和食や洋食など7店舗が店を構える
焼肉ゆらの
natural photo studio fhans garden
淑徳魚苑 魚福
お城の下で
日本料理 一ゑん
アゲバンバン
concept shop Crouka(クローカ)
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昇龍橋
法川に架かる
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福知山市 佐藤太清記念美術館
福知山出身の日本画家で市名誉市民・文化勲章受章者でもある日本画家・佐藤太清の作品を中心に展示する美術館
建物は福知山城の天守に合わせ城郭風の建築となっているのが印象的
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本丸
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天守閣入口
美術館の向かい
ここから天守まで坂道を上がっていく
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案内板
入口すぐ
開館時間・休館日・入館料について表示
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登城坂
右側は白壁と石垣、左側には城の東側の眺望が広がる
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分岐
まっすぐが順路
右は転用石と大天守の入口のある裏側へ上がる石段へ通じている
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登城坂
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石垣に秘めたる史跡桔梗咲く 淑子
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本丸広場
本丸西側の広場
坂道を上がると城の西側の広いスペースに出る
すぐ右側は反時計回りに天守裏側の本丸東側の広場へ通じている
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福知山城の説明板
西側広場すぐ
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記念碑と自販機とベンチ
近年明智光秀の声が聞ける光秀自販機が新たに設置された
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満州開拓顕彰碑
福知山市と旧天田郡の天田郷開拓団、第二天田郷開拓団の開拓精神や戦争での悲劇的な終焉を伝える石碑
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大天守(正面から)
1986年(昭和61年)に復元されました復興天守
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転用石
天守の石垣には、五輪塔や宝篋印塔はじめ石仏・石臼・灯籠などが石材として多数利用されて、転用石と呼ばれている
古いものでは「延文四年(1359)」の銘が刻まれているものもある
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野面積みの石垣
大天守の正面の石垣は中央付近で境目ができている
石垣を増築した時にできた線だといわれている
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小天守
大天守と連結
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桜
西側広場の小天守の前あたり
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福知山城石垣の転用石
銅門番所の左に並べられている
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銅門番所(あかがねもんばんしょ)
福知山城の二の丸銅門にあった番所で、建造当時から唯一現存する貴重な建築物
元々は現在の市役所に東の二の丸に設けられていたが、大正の初めに天守台に移された後、1984年(昭和59年)に現在の場所に移された
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手洗所
トイレ
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門
本丸北側の門
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石段
門をくぐって本丸の西側から時計回りに北側へと続く
周囲は紅葉が綺麗
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高石垣
本丸の北側
石垣がそびえるように立つ
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福知山城石垣の転用石
本丸の北東側の白壁沿いにも並べられている
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石段
本丸の東側から大天守の入口となる釣鐘門へと続く
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釣鐘門
大天守の内部への入口のある天守の裏側に出る
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本丸東側の広場と大天守(裏側から)
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朝暉神社鳥居
釣鐘門くぐってすぐ右
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手水舎
鳥居くぐって参道右手
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朽木昌綱公頌徳日碑
手水舎の左隣
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朝暉神社(あさひじんじゃ)
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由緒書
本殿左
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鉄砲石
神社の鳥居左横
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豊磐井(とよいわのい)
釣鐘門くぐってすぐ左にあり、そばに説明版が設置されている 深さ50m、井戸底は海面下7メートルに達しているという
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記念碑群
釣鐘門くぐってすぐ左の井戸の周囲にいくつか建てられている
周りにベンチが置かれている
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天守閣復元鯱瓦(しゃちがわら)
豊磐井のそば
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「福知山城」の説明版
鯱瓦の右隣
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変りゆく街を見下ろす天守間 さかゑ
説明板の右隣
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大天守入口(福知山城天守閣)
内部は郷土史料館になっており、一部を除き撮影禁止
望楼からの福知山市街地の眺めは見事
2019年(平成31年)4月から福知山市郷土資料館より名称変更
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光秀くんとひろこさんのパネル
入口前に置いてある記念撮影用のパネル
その日の年月日入り
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明智光秀の肖像画と兜
天守内で撮影可能な場所の一つ
記念撮影スポットになっている
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大天守望楼からの眺望
小天守の向こうに御霊公園や音無瀬橋や大江山なども見える
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城北側(京町線・城下通り~広小路通り~御霊公園)
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京町線
福知山城公園北東角から北へ進み、由良川沿いの明智藪の前あたりに出る
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明覚寺
音無瀬橋を挟んだ由良川沿いは寺町となっている
山門は福知山城の城門が移築されたものの一つ
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由良川
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明智藪(蛇ヶ端御藪)
寺町のそばの由良川沿い
由良川の流れを曲げることで度重なる氾濫防止とするため、また水運交易発展のために明智光秀が築いたという堤防
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「福知山城下町と由良川」の案内板
明智藪前の堤防上
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「京口門と番所跡」の案内板
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城下町の町並み
京口門から道が大きく折れて城下町へ入っていく部分にかつての城下町の面影が残されている
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城下通り
お城通りの内記一丁目交差点から北へと伸び由良川に架かる音無瀬橋へと続く
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音無瀬橋
由良川に架かる橋
橋を渡った北東側には三段池公園、福知山市動物園、猪崎城跡などがある
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法鷲寺
城門を移築
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正眼寺
城門を移築
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広小路通り
音無瀬橋から西へ御霊公園まで
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新町商店街(新町通り)
アーケードの商店街
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「藩校惇明館跡」の説明版
アーケード内
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御霊神社
明智光秀を祀神として祀る
「明智光秀家中軍法」などの直筆の書状を所蔵
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新広小路通り
御霊公園から西へ
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交差点
新広小路通りとけやき通りが交わる 南へ進むと福知山駅の北口
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明智茶屋
駅前交差点を西へ少し行った所にある
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福知山城の主な年間行事・カレンダー
年中行事
- 4月上
光秀忍たま武道大会
福知山城主・明智光秀と忍者を題材とした小学生対象の参加型忍者イベント
修行中の子供忍者「忍たま」に扮し福知山城公園周辺で手裏剣・吹き矢・川渡りなどの忍者修行のアトラクションに挑戦するほか、福知山の歴史や忍者学を学習する- 4月第2土日
福知山お城まつり
福知山城のほか御霊公園や広小路通り、厚生会館の福知山城下町周辺で開催されるイベント
福知山おどりパレードや光秀行列、ご当地キャラクターによる「光秀ゲーム」、食の祭典など
[公式]- 8/14~16および翌週の土日
福知山ドッコイセまつり
「福知山音頭」は明智光秀が福知山城を修復するにあたり、人夫が石材や木材を城に運ぶ際に「ドッコイセ」「ドッコイセ」と手を振り、足振り面白く唄いながら作業を行ったのがはじまりと伝えられていて、現在は福知山市の伝統的な文化となり、毎年お盆の時期には中心市街地がこの踊り一色となる
毎年盆休みの8月14日から16日までと翌週の週末に2つの期間に分け、広小路通り、御霊公園、福知山駅北口公園を会場に踊りが踊られる- 9月上または8月下
くの一武道大会 丹波福知山の段
月並行事
- 毎日
福知山城ライトアップ
17時より、登城坂や天守閣を照らす