京都市北区西賀茂神光院町、「西賀茂の弘法さん」「上の弘法さん」として親しまれている真言宗系の単立寺院。
山号は放光山で、本尊・弘法大師像は大師42歳の時の自作と伝わり、「厄除け大師」として広く信仰を集め、厄除のほか眼病祈祷の寺としても知られています。
また東寺と仁和寺とともに「京都三大弘法」の一つにも数えられている弘法大師空海ゆかりの寺院です。
古くは「瓦屋寺」と呼ばれ、御所に瓦を奉納する職人の宿所であったといい、神光院として創建されたのは鎌倉初期の1217年(建保5年)のこと。
上賀茂神社の神職であった松下能久が「霊光の照らした地に一宇を建立せよ」との神託を受けて、大和国から慶円を招いて寺を建立。この由緒にちなんで「神光院」と命名されました。
空海が42歳の時に90日間の修行を行ったとされ、修行を終えてこの地を去る際、境内の池に映る自らの姿を見て木像を彫り厄除を祈願したと伝わり、この木像は本尊として本堂に安置されています。
また同時に眼病治癒の祈祷(護符)も行っていたことから、眼病に利益のある寺としても広く知られるようになります。
その後は密教の道場としても栄え、幕末には女流歌人で陶芸家の大田垣蓮月が晩年の75歳から没するまでの約10年間隠棲したことでも知られていて、境内には「蓮月尼旧栖之茶所」と刻まれた石碑と茶室「蓮月庵」が残されています。
蓮月隠棲中の明治初期に「廃仏毀釈」運動を受けていったんは廃寺となりますが、蓮月没後の1878年(明治11年)に僧侶・和田月心により再興されています。
神光院といえば何といっても毎年7月21日と土用丑の日に開催される、諸病封じの「きうり加持(きゅうり封じ)」が有名で、弘法大師空海がきゅうりに病魔を封じ込め五智不動尊に病魔平癒を祈願したという故事にちなんで、きゅうりによる疫病除けの祈祷が厳修されます。
きゅうり封じの他に有名なものとしては商売繁盛・入社入学試験・諸病平癒などの願い事を色紙の裏に書き入れて部屋に飾るだけで必ず願い事が達成できるという「不思議大日色紙」が授与されていることでも知られています。
また初夏の花菖蒲、夏の百日紅や秋の紅葉、冬の山茶花など、四季折々の草花が楽しめることでも知られ、とりわけ12月前後に池のほとりに咲く白い八重のサザンカはこの寺のみ存在する珍しい品種です。
最後に「京都三弘法まいり」は四国八十八ヵ所霊場に詣る際に弘法さんの縁日である毎月21日に道中の無事祈願とお礼参りのために巡るもので、東寺で菅笠、仁和寺で金剛杖、神光寺で納札箱をそれぞれ求め、四国へ旅立ったといい、「廃仏毀釈」の際にいったんは途絶えましたが、2012年(平成24年)に復活しています。