光明寺(粟生光明寺)
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紅葉で知られる熊谷次郎直実が創建した法然の廟所
西山浄土宗総本山。平家物語にも登場する熊谷次郎直実が源平合戦後法然の下で出家し、法然が初めて念仏を説いた粟生広谷の地に念仏三昧院を創建。 法然が没すると廟堂が建てられ石棺が光明を発した奇瑞にちなみ光明寺に。 法然が母からの手紙で作った張子の御影も残る。紅葉の名所でもみじ祭も開催
光明寺(粟生光明寺)とは?(基本データ)
- 名前
- 光明寺(粟生光明寺)(こうみょうじ(あおうこうみょうじ))
- エリア
- 西山・乙訓
- ジャンル
- 正式名
- 報国山念仏三昧院光明寺
- 建立・設立
- 1175年(承安5年)3月、浄土宗を開いた法然が43歳の時に粟生野の地で初めて念仏の法門を説く(浄土門根元地)
1198年(建久9年)、「念仏三昧院」として開創
1212年(建暦2年)1月25日、法然没する
1228年(安貞2年)、法然の棺より数条の光明が放たれ、南西の粟生野を照らしたためこの地で荼毘に付され廟所となり「光明寺」に改称 - 創始者
- [開基] 蓮生(熊谷次郎直実)
[開山] 法然 - 宗派
- 西山浄土宗総本山
- 山号
- 報国山
- 本尊
- 阿弥陀如来
- 寺紋
- 鍋島花杏葉(なべしまはなぎょうよう)
久我竜胆(竜胆車)(こがりんどう(りんどうぐるま))(西山浄土宗の宗紋) - 札所等
- 法然上人二十五霊場 16番札所
西山国師十六遺跡霊場 第13番 - アクセス
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- 阪急京都線「長岡天神」駅下車 徒歩約30分、阪急バスで約10分
- JR東海道本線(京都線)「長岡京」駅下車 西口バス停より阪急バスで約20分
- 阪急バス「旭が丘ホーム前」(長岡京線20・22系統) 下車 徒歩約3分
- 阪急バス「光明寺」(長岡京線20・22系統) 下車すぐ
- 長岡京はっぴぃバス「光明寺」(北コース) 下車すぐ
- 駐車場
- なし
- 拝観料
- 無料(紅葉の時期を除く)
■紅葉の特別入山
├高校生以上 500円(団体400円)
└中学生以下 無料
※団体割引は30名以上 - お休み
- 無休
- 拝観時間
- 境内自由(紅葉の時期を除く)
■紅葉の特別入山
└9:00~16:00 - 住所
- 〒617-0811
京都府長岡京市粟生西条ノ内26-1 - 電話
- 075-955-0002
- FAX
- 075-953-2264
- 公式サイト
- 西山浄土宗 総本山 光明寺
光明寺【公式】 Twitter
西山浄土宗総本山光明寺 Facebook
光明寺 Instagram
総本山光明寺 YouTube
西山浄土宗 全日本仏教会
第16番 光明寺 法然上人二十五霊場
光明寺(粟生光明寺)の地図
光明寺(粟生光明寺)のみどころ (Point in Check)
京都府長岡京市粟生西条ノ内、西山の麓の粟生広谷に位置する西山浄土宗の総本山。
山号は報国山で院号は念仏三昧院、開基は熊谷次郎直実。
平安末期の1175年(承安5年)、浄土宗の宗祖・法然(円光大師)が43歳の時に、初めて「念仏」の教えを説いた立教開宗の地とされる浄土宗ゆかりの地の一つで、「法然上人二十五霊場」の一つにも数えられています。
法然は15歳の時(異説には13歳)に比叡山の皇円について得度、比叡山黒谷の叡空に師事して「法然房源空」と名乗ります。
そして24歳のとき、学匠となるべき師を求めて奈良へ向かうため叡山を降りられた時、この粟生野の里で当時の村役・高橋茂右衛門宅に一夜の宿を借りました。
その時茂右衛門夫婦は、法然の強い仏法への気持ちと、広く民衆を救われる道を求めての旅である事を聞き、「まことの教えを見いだされましたならば、先ず最初に私共にその尊いみ教えをお説き下さいませ」と懇願したといいます。
それから約20年の時が流れた1175年(承安五年)の3月、43歳にして遂に浄土宗を開くことができた法然は、茂右衛門夫婦との約束りこの粟生野の地で初めて念仏の教えを説いたといい、このことから「浄土門根元地」とも呼ばれています。
光明寺の創建はそれから更に時が流れ鎌倉初期の1198年(建久9年)のこと、法然の弟子・熊谷直実(くまがいなおざね)(蓮生(れんせい))が、法然を開山第1世に請じて、法然ゆかりの粟生の地に「念仏三昧院」を建立したのがはじまりです。
「平家物語」でも有名な熊谷次郎直実は、源平が戦った「一ノ谷の合戦」で平敦盛の首を獲るなど、武将として華々しい活躍をしたことで知られていますが、しかしその後は戦いの明け暮れた日々と殺生に世の空しさを感じ、積もる罪業を償い極楽往生へと進む道を求めて法然を訪ねたといいます。
これに対し法然は「どんなに罪は深くとも、念仏さえ一心に申せば必ず救われる」と説き、この有り難い教えに歓喜した直実は直ちに出家・剃髪してその弟子となり、蓮生房と称したといいます。
そして念仏三昧の日々を送るため、法然が43歳の時に初めて念仏の教えを説いたとされる西谷粟生の地に草庵を結んだといわれています。
その後、第3世・幸阿の代の1212年(建暦2年)正月25日に法然が入滅すると、1227年(嘉禄3年)には比叡山の衆徒が大谷(東山吉水付近)に埋葬されていた法然の墓を暴き遺骸を鴨川に流そうと企てたいわゆる「嘉禄の法難」が発生。
この際に遺弟たちは秘かに遺骸を入れた石棺を嵯峨の二尊院、そして太秦の西光寺に移しますが、すると翌安貞二年正月20日の夜、石棺より幾筋かのまばゆい光明が発せられ、南西方向の粟生野を照らすと言う奇瑞が現れたといいます。
そこで同月25日、法然の遺骸を粟生野の地で荼毘に付し、寺の裏山に遺骨を納めて本廟が建てられることとなり、更にこの事を耳にした四条天皇から「光明寺」の勅額が与えられたことから、以後念仏三昧院は「光明寺」と称するに至ります。
その後、浄土宗においては法然の弟子である西山上人(証空)が西山義の教えを広めていき、「浄土宗西山派」が成立しますが、その弟子の浄音は証空の教えの上に更に自らの考えをも交えた西谷(せいこく)流を提唱し、光明寺の他に禅林寺(永観堂)も主な拠点として西山義、西谷流の教えを広めることとなります。
そして明治期に入った1876年(明治9年)には光明寺は浄土宗西山派の西本山となりますが、1919年(大正8年)に浄土宗西山派はそれぞれの考えの違いから浄土宗西山光明寺派(戦後に西山浄土宗)、浄土宗西山禅林寺派、浄土宗西山深草派の3つにそれぞれ分裂し現在に至っています。
伽藍は室町末期に顕空登順が再興するも、「応仁の乱」をはじめ何度も火災に遭っており創建当時の建物は残っておらず、現在の諸堂は江戸時代に整備されたものです。
6.6haともいわれる広大な敷地に回廊で結ばれている壮大な造りの御影堂と阿弥陀堂を中心として32棟の建造物があり、そのうち17棟が長岡市の指定文化財となっています。
このうち「御影堂」は1753年(宝暦3年)の再建で、堂内には法然が母親からの手紙で作ったという「張子の御影」が安置されているほか、御影堂の裏には法然上人の遺骨も眠る御本廟、更に御影堂の右手前の石の柵に囲まれた大きな石棺は「圓光大師御石棺」として現在も大切に守られています。
また回廊によって続く「阿弥陀堂」は1799年(寛政11年)の再建で、本尊の阿弥陀如来像は熊谷蓮生が琵琶湖畔の堅田にある浮御堂から背負って来たといういい伝えが残されています。
以上のように法然ゆかりの地として知られる光明寺ですが、近年はとりわけ紅葉の名所としてよく知られています。
「もみじ参道」と呼ばれる約200m続く緩やかな坂道の参道の両側には数百本といわれる楓の木があり、紅葉の季節には真紅の色鮮やかな「もみじのトンネル」となるほか、晩秋期には参道の石畳が「散り紅葉」で埋め尽くされ、息を飲む美しさとなります。
見頃の時期には長岡京市観光協会主催で「もみじ祭」も開催され、多くの観光客で賑わいます。
光明寺(粟生光明寺)の施設案内
総門周辺
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光明寺前
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石標
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境内図
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駐車場
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WC
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安楽院
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閻地院
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特別拝観受付
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浄土門根元地石標
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説明板
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総門
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閻魔堂
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東行逆馬の碑
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鈴鹿野風呂句碑
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表参道・御影堂前
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表参道(女人坂)
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塩田紅果句碑
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五重石塔
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観音堂
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経蔵(経堂)
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法然上人袈裟掛之松
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勧化所
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石棺
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モミの木
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墓地参道
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阿弥陀堂
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渡廊下
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位牌堂
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皇太子御手植松
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御影堂(本堂)
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観光ぽすと
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遣迎鐘(鐘楼)
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法然上人立教開宗の像
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手水舎
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WC
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御本廟・釈迦堂・書院
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勢至堂
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御本廟
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納骨堂
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善恵・淨音塔
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蓮生閣(客殿)
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献供所
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エスカレーター
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釈迦堂(方丈)
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信楽庭
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大書院
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大書院西庭
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小書院
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茶室廣谷軒
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御居間
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衆会所
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庫裏・信徒会館・薬医門・もみじ参道
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石段
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柏槙(イブキ)
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宝物庫
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法然上人御火葬跡
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勅使門
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本玄関
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庫裏(庫裡)
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衆寮門(受付)
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上台所
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じき堂京藤庵
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水行場
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宗務所
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信徒会館
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講堂
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専門寮
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駐車場
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念仏讃
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鎮守社
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茂右ェ門屋敷跡
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元祖法然上人他力念仏創称之処
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坂道
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薬医門
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もみじ参道
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京都西山短期大学
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駐車場
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周辺
光明寺(粟生光明寺)の主な年間行事・カレンダー
年中行事
- 1/1
修正会(しゅしょうえ)
新年を迎えるにあたって一年の幸せを願う法要
未明から年の初めにかけ除夜の鐘を聞きながら厳修される- 1/24
念仏行脚(ねんぶつあんぎゃ)
法然上人の徳を讃え行われる法要
念仏の声とともに太秦より光明寺の御火葬跡へと行脚- 2/15
涅槃会(ねはんえ)
釈迦の命日に14:00より釈迦堂にて涅槃会法要
涅槃図は南北朝時代のもので長岡京市指定文化財- 3月下
春のお彼岸
- 3/24~4/9
法脈相承(ほうみゃくそうじょう)
当宗の僧を志す者が法主より法脈を授かる儀式
- 4/8
花祭り
釈迦の誕生日を祝う法要
- 4/19~4/25
法然上人御忌(ぎょき)
法然上人の法事を7日間にわたって執り行う
- 7/28~7/30
暁天講座(ぎょうてんこうざ)
朝5時15分からの晨朝法要の後、法話
法話の後には粥の接待- 8/13~8/15
お盆
- 9/4
蓮生忌
蓮生法師(熊谷次郎直実)の法要
- 9月下
秋のお彼岸
- 10/26
西山忌(せいざんき)
西山上人の法要
御詠歌の奉納なども- 11月中~12月初
秋のもみじめぐり(紅葉の特別入山)
期間中は入山が有料となり、石庭の公開や寺宝展をはじめ地元作家の展覧会など、様々な催し物も開催される
- 12/8
成道会
釈迦が悟りを開いた日に行われる法要
- 12/31
除夜の鐘
一般参拝者も参加可能、整理券(番号札)を配布
甘酒の無料接待あり(なくなり次第終了)、梵鐘は「遣迎鐘」と呼ばれ1949年の鋳造
年明けに修正会の法要
月並行事
- 毎月第1土曜
朝の法話会
僧侶による説教、童謡の唱和など 一般の方も参加可能
- 毎月第2日曜
月釜(お茶会)
1月・8月を除く9:00~15:00、有料
一般の方の参加も歓迎