京都市右京区、市の西部を流れる大堰川(桂川)に架かる橋で、別名「法輪寺橋」、「葛野橋」とも。
平安時代に貴族の別荘地として栄え、現在は京都を代表する観光名所として有名な史跡名勝「嵐山(あらしやま)」のシンボル的存在として知られています。
背後にそびえる標高381.5mの嵐山との調和が見事で、「嵐山」といえばまず頭に浮かぶのが渡月橋の風景というほど、観光名所として知られる嵐山の中でもお馴染みの橋で、観光パンフレットや雑誌、映画やテレビドラマの撮影などでも頻繁に登場します。
平安初期の承和年間(834~848年頃)(836年(承和3年)とも)、弘法大師空海の弟子にあたり法輪寺を中興した僧・道昌(どうしょう)が大堰川を修築した際に架橋したと伝わり、当初は現在より約200mほど上流に架かっていたといいます。
道昌は東大寺で受戒の後、神護寺や東寺で弘法大師空海に真言密教を学んだ人物で、桂川(大堰川)の堤防を改築するなどし行基の再来と称されました。
「十三まいり」で知られ現在も橋の南側にある虚空蔵法輪寺への参拝のため、その門前に架けられた橋であったことから、当初は「法輪寺橋」と呼ばれ、また朱丹に塗られ「天竜寺十景」の一つにも数えられていたといいます。
「渡月橋」の名前は鎌倉中期に亀山上皇(1249-1305)が満月の晩に舟遊びをした際、橋の上空に浮かぶ月を見て「くまなき月の渡るに似たり(月が橋を渡るように見えた)」と感想を詠んだことに由来しています。
その後「応仁の乱」での焼失や度重なる水害などで幾度か架け直された後、江戸時代に入った1606(慶長11)年に高瀬川の開削でも知られる京都の富豪・角倉了以(すみのくらりょうい)が大堰川の開削にあたり現在の位置に架橋。
現在の渡月橋は、1934年(昭和9年)に完成し、幅は約11mで2車線の車道を持ち、橋の長さは約155m。
橋脚と橋桁は鉄筋コンクリート製に改められましたが、欄干部分は景勝地である嵐山の風景に溶け込むよう木造となっています。
北側の清凉寺(嵯峨釈迦堂)から南へと続き、天龍寺や嵐電嵐山駅を経て渡月橋に至る嵐山のメインストリート「長辻通」と大堰川(桂川)が交差する場所に架かり、多くの観光客が保津川や嵐山を背景に記念撮影をする人気撮影スポット。
その一方で長辻通は京都府道29号の一部にもなっており、桂川の両岸地域を結ぶ道路として車の交通量も多く、静かな渡月橋を楽しみたいのであれば早朝(特に平日の早朝)がおすすめです。